東芝電波プロダクツ株式会社 
久保清嗣さん(高37期)


Profile久保清嗣(くぼきよし)さん

1985年八幡高校卒業(高37期)、成田航空大学校(現成田つくば航空専門学校)に入学
1987年東芝電波特機株式会社会社(現東芝電波プロダクツ株式会社)に入社
航空機搭載電子機器の整備に従事
2002年同社の品質保証部へ異動。品質検査の専門者として現在に至る

八幡高校を卒業後、専門学校にて航空機について学び、東芝電波特機(株)(現東芝電波プロダクツ(株))に入社。航空機に搭載する電子機器の整備、品質検査に携わる。
小学校低学年の頃に軍用機に魅せられ、それ以来八高時代を含め、一度もその熱が冷めることなく現在に至る。奥様とお嬢様の3人暮らし。八高時代には写真部に所属。槻田中学出身。


立春を越えても尚寒い日が続く関東地方。今回は東芝電波プロダクツ(株)にて航空機搭載機器の専門家として活躍中の久保さんに取材させていただきました。専門が軍用機だけに、職場での取材は不可能なため、都内某所にてインタビューを行ないました。待ち合わせ場所に遠目からも目立つフライトジャケットを着た久保さんが現れました。今回のテーマは「趣味を仕事にすることとは?」というものでしたが、実際にお話を聞くと久保さんの情熱と知識の奥深さ、さらには趣味を職業として選んだからこその人生観に至るまでの深いものになり、あっという間に濃密な時間が過ぎてしまいました。同窓生の皆さんにも是非知っていただきたい。そんな思いでいっぱいです。

軍用機に魅せられた幼い日の出来事

久保さんは軍用機マニアで、その趣味が高じて今の仕事をされていると伺いました。

はい。きっかけは小学校低学年の頃、家族で母親の実家のある大分へ向かう途中の出来事でした。日豊本線は自衛隊の築城基地の脇を通りますよね。何気なく窓の外の景色を見ていたらちょうど戦闘機が降りてきて、僕の乗っている電車と並んだんです。そのときに操縦しているパイロットと目が合ったかと思うと、なんと僕に向かって手を振ってくれてそのまま着陸していきました。今でも鮮明にその光景を覚えていますが、その日以来、パイロット・・・それも旅客機でなく戦闘機のパイロットになりたいと思うようになりました。そして今日まで軍用機に対する自分の情熱は一度も冷めたことはありません。でも小学6年生の時に、父親から将来何になりたいかと問われ、「ブルーインパルスのパイロットになりたい!」と言ったら、「自衛隊はダメだ!」と真剣に反対されましたね(笑)。

一方で小学6年生くらいになると、ある程度は自分の身体能力とか適正などがわかってきますよね。自分でもパイロットは無理だなと思って、ならば管制官になろうと決意したんです。中学に入る頃には具体的にどうすれば将来管制官になれるのかを考えていました。調べてみると航空保安大学校に入ればいいということがわかったので、そこに行こうと・・・。ですから高校を選ぶよりも前に航空保安大学校に行くことを決めていました(笑)。

それはすごいですね!高校時代でも管制官になる夢は変わらなかったのでしょうか?

もちろん八幡高校に入ってもその夢は変わりませんし、軍用機に対する情熱も増すばかりでした。毎年11月に築城の基地で航空祭というのがあるんですが、そこにも3年間通いましたよ。高校1年のときにはブルーインパルスの新しい機種がはじめて西日本に来ることになり、本物を見られると喜んで出かけました。でも物凄い土砂降りになり、飛行展示は中止に・・・すっかり落ち込んでしまいましたが、ちょうど雨宿りをしているときにブルーインパルスのフライトスーツを着たパイロットを見かけたので、勇気を出して声をかけてみました。すると笑顔で八高の生徒手帳にサインをしてくれて、しかもブルーインパルスのチームメンバー6人全員のサインも集めてきてくれました。いやぁ嬉しかったですねぇ。その生徒手帳は今でも大切に保管しています。
また、学校でも管制官になるために高校2年の頃から進路指導の先生に相談していました。でも「八高には過去にそんな例がないからわからない」と言われましたね。逆に今後も私のような生徒が出てくるかも知れないからと、私が航空保安大学校を受験した際の申請書や受験要項書など八高に保管しておきたいと求められました(笑)。とにかくそこに行って将来は管制官になること以外は考えていませんでしたし、他の大学も受験しませんでした。


無事に夢は叶いましたか?

それが見事に失敗しました。倍率50倍・・・そんなに現実は甘くありません。当時の航空保安大学校は10月に試験があり、合格した人には通知が届くそうですが、落ちた人には何も連絡もありません。福岡県庁に行けば合否がわかるというので、結果発表の日に行きました。他には誰も来ていませんでしたね。壁にA4の青焼きの紙一枚だけが貼り出されており、そこで自分の不合格を知りました。
それで今度は航空機に関連する専門学校に行こうと決め、成田航空大学校(現成田つくば航空専門学校)に入りました。ここでは航空保安施設科を専攻し、レーダーやILS(計器着陸装置)について学びました。また、無線についても3種類の免許を取得しました。

趣味を仕事にする覚悟

どのような経緯で今の会社に入られたのでしょうか?

とにかく航空機、できれば軍用機に関係する仕事がしたくて、数多くの企業の面接を受けましたがなかなか決まりませんでした。就職担当の先生が元自衛官ということもあり、いざとなれば自衛隊に入ろうかとも思いました。その頃には父親も特に反対しなくなりましたし・・・(笑)。でもある日先生が今の会社を紹介してくれました。「久保、東芝電波特機を受けてみたらどうだ?社名に特機とある会社はほぼ間違いなく自衛隊を顧客にしている」と。その一言で気持ちが動きましたね。
ところが試験で大失敗してしまいました。試験は一般教養と専門知識についての筆記試験、そして面接試験だったのですが、専門知識の試験で『電子』を選ぶはずが『電気』を選んでしまい、問題を開いた瞬間に「なんだこれ?全然わからない」と・・・(笑)。実際100点満点で38点しか取れませんでした。

よく合格できましたね?

はい、自分でもそう思います(笑)。面接ではなぜこんなに筆記テストの点数が悪いのか?と質問されたので、正直に『電子』と間違えて『電気』を選択してしまったことを言いました。すると面接の担当官が「たしかに半導体のところは全問正解だ、じゃILSについて説明してみて」と私の専門分野について質問してくれました。あとで知ったのですが、他の受験者は面接時間10分でしたが、私だけは90分も面接を受けていました。おかげで何とか合格することができました。

よかったですね。それでは現在のお仕事の内容についてお聞かせください。

会社に入ってからは慣性航法装置の整備を中心にしていました。航空機がどこを飛んでいても現在の位置を割り出す計器です。難しいので説明は割愛しますが、空港で停まっている飛行機の近くに必ず緯度と経度を表示しているプレートがありますので機会があれば見てください。その緯度と経度、つまり現在地を基点として計算していきます。そして2002年からは品質保証部に異動となり、検査を担当しています。おかげさまで仕事が楽しくて毎日充実しています。でもお客様が自衛隊ということもあり、自分の仕事の大半は機密事項になっていますので詳しくは説明できないんです。本当にごめんなさい。

わかりました。ところで自分の好きなものや趣味を生活の糧、つまり職業として選ぶと、以前のように楽しめなくなり、好きでなくなってしまうという人もいますが・・・

もちろん仕事ですから厳しさは当然ありますし、私自身も会社を辞めてしまいたいと思うようなことが幾度もありました。でも冷静になって考えると、仕事そのものが嫌いなのではなく、職場の人間関係など人が原因になっていることがほとんどなんです。人間関係が嫌になって辞めてしまうと大好きな仕事からも離れなくてはならなくなる。そういう意味では好きなことを仕事にするということは、本質的な仕事以外のことでは我慢をする覚悟がいりますね。

仕事の他にも趣味が必要

仕事が趣味といえる久保さんですが、仕事以外には趣味をお持ちですか?

はい、今は写真が趣味です。本音を言えば飛行機の写真だけを撮りたかったんですが、そういう時間もなかなか取れないので、地べたを撮ることが増えました。きっかけは10年ほど前、忙しくて毎日のように会社に泊まりこみ、一週間ぶりに帰宅する途中でした。このままだといつの日か仕事を辞めたときに自分には何も趣味がないなぁと思ったんです。そこで高校時代にやっていた写真をもう一度やってみようと。もっとも高校のときも飛行機を撮りたくて写真部に入部したんですが・・・(笑)。そうして再び始めた写真ですが、北九州の路地を撮ったモノクロの写真を船橋市の写真展に持ち込んでみたら入選しました。


*船橋市の写真展に出展し、モノクロ写真の部で奨励賞を受賞した『小道』という作品


また、娘が幼い頃にはいろんな場所で写真を撮りましたよ。
これは自衛隊の夏祭りに出かけた際に、装甲車に乗ってる娘を撮った写真です。『戦線異状・・・なし?』というタイトルをつけています。足元を自衛官が支えてくれています(笑)。


装甲車ですか・・・(笑)。ところでやはり軍用機の写真が多いですね。

ええ、旅客機も好きですが美しいと感じることしかないです。なんだか豪華客船を見ているみたいな感じがしますね。対照的に軍用機というのはそれぞれの目的に特化していますので研ぎ澄まされた機能美を感じます。でも写真では比較対象物がないと、ただ機体が浮いてるだけのように写ってしまいますのでアングルなど苦労しています。


*『U-4多用途支援機』ぽっかりと浮かんだ動きのない写真の典型例

*『CH-47J輸送ヘリ』このヘリが格好良く見えるアングルを考え、スローシャッターを使ってローターをぶらすことで動きを出しています。

*対照的な2枚の写真
左『T-4中等練習機』、右『ブルーインパルス』同じ編隊の写真でも動きの違いが明らかです。スモークのおかげでブルーインパルスの動きが感じられます

どういったところで撮影されるのでしょうか?

軍用機の場合は、それぞれの基地で行なわれる航空祭での飛行展示のときですね。会社に入ってからも百里基地や館山基地など、いろいろ出かけました。今年の正月には習志野駐屯地の演習にも行きました。いやぁ寒かったですねぇ。

*『空挺降下』習志野駐屯地の降下訓練始めにて撮影しました。
東京タワーくらいの高度から、新幹線と同じ速さで飛ぶ飛行機(C-1中型輸送機)から飛び降ります。

そうですか(笑)ご家族も理解がありますよね。

その点はとても感謝しています。以前はよく家族一緒に基地でのイベントにも行きました。最近はどうぞご自由に・・・という感じですし、娘ももう付き合ってはくれないかな?でも私の趣味を理解し、尊重してくれているので本当にありがたいです。そういえば新婚旅行で沖縄に行ったのですが、そのときだけは基地に行くのを我慢しました。レンタカーを運転していて嘉手納と書かれた標識を見たときは辛かったですね(笑)。

なるほど(笑)最後に同窓生の方へメッセージをお願いします。

自分は大学に行っていないので何とも言えないのですが、大学って学部があって学科がある、つまりかなり専門性の高いところですよね。その割には何をしたいのか、目標を決めないまま選んでいる人が多いように思えます。これって勿体ないですよね。漠然とでもいいから自分の目標を決めてみる。つまり自分の歩んでいく道を自分で作っていく。そうするとピンチのときにこそ踏ん張れるようになると思うんです。私自身は早くから目標を定めて、途中いろいろ揺れ動いてしまいましたが、今でも小学校低学年の頃からの情熱を持ち続けて仕事をしています。この仕事が大好きですし、楽しくてたまりません!

本日は本当にありがとうございました!



【編集後記】

  • 久保さんの着ていたフライトジャケットはご自身の私物で、名前入りの特注のワッペンをつけています。これは館山の海上自衛隊に実在する第21航空隊という部隊のワッペン。パイロットは翼のマークが金色か黄色。航空士(SENSOR OPERATER)は銀色か白と、本物と同じこだわりを持っています。他にもいろいろと細かな説明を受けましたが、ついていけませんでした(笑)。
  • 久保さんが八高時代に初めて見に行った築城の航空祭。そこでブルーインパルスのチームメンバーを集めて、笑顔で彼の生徒手帳にサインをしてくれたのは、航空自衛隊松島基地第4航空団所属の高嶋潔一等空尉(当時)。実はその一週間後、浜松基地で行なわれた航空祭での飛行演技中に墜落し、亡くなられています。そのエピソードを語る久保さんの目に涙が光っていました。
  • 仕事以外では写真が趣味の久保さん。関東誠鏡会の総会懇親会においてはご自身が当番期だった第35回総会はもちろん、前後の第34回や第36回の総会懇親会でもカメラマンを務められました。
  • 自分の将来を深く考えることもなく大学と学部を選び、なんとなく就職活動をして会社に入った筆者には、子供の頃からの情熱を持ち続け、失敗しても諦めずに進んでこられた久保さんの言葉には深く考えさせられ、とても印象に残る取材となりました。




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