みなさんは「軍艦防波堤」と呼ばれる防波堤が若松にあることをご存知ですか?
若松区の外れ、響灘臨海工業団地の一角に、第二次大戦後、三隻の軍艦が響灘の荒波から洞海湾を守る防波堤として沈められました。船の名は「柳(やなぎ)」「冬月(ふゆづき)」「涼月(すずつき)」。軍艦の形をした防波堤という事ではなく、旧日本海軍の本物の艦船が沈められて防波堤が造られています。戦後、大半の軍艦は戦勝国に引き渡されたり、解体されて鉄材になったりしたそうですが、一部は国内の港湾整備に利用され、ここ若松では三隻の軍艦に土砂を詰めて沈め400m程の防波堤が造られたそうです。



軍艦防波堤の艦船の配置図

現在も軍艦の姿を残す、駆逐艦「柳(やなぎ)」

軍艦防波堤として船の姿が残っているものは、大正時代の駆逐艦「柳」です。防波堤として姿を変えた今でも周囲よりも1mほど盛り上がっているので船の形と見てとって判ります。「柳」は1917年の建造、全長は約88m。第一次世界大戦では、同盟国のイギリスを支援するため地中海へ派遣され、マルタ島で輸送船団の護衛や人命救助などに活躍後、第二次大戦中は佐世保で練習艦として使われていたそうです。


沖縄特攻作戦からの奇跡の生還をした「冬月(ふゆづき)」と「涼月(すずつき)」

駆逐艦「冬月」「涼月」は、第二次大戦末期、戦艦大和と共に沖縄特攻作戦を戦った駆逐艦です。防空駆逐艦として戦艦大和に随行し、激しい戦火の中、大破しつつも奇跡の生還を果たした艦船です。この二隻は、防波堤として沈められた当初は艦船の姿をしていたそうですが、今では埋立の進行とともにコンクリート護岸の中に眠っています。「冬月」「涼月」の名前は、2014年イージス艦を守る最新鋭の防空護衛艦として名を受け継いで竣工され、現在では海上自衛隊の主力艦船として活躍しています。


沖縄戦で炎上する涼月



現地に建てられている看板



北側の響灘は埋め立てられて防波堤の役割は終わりましたが、軍艦防波堤はこれからも記憶の中に残していきたいものです。風化しつつある軍艦防波堤の史実を残そうと、高塔山の中腹にこの三艦の戦没者慰霊碑が建立され、詳しい説明が書かれています。帰省の際には、軍艦防波堤とともに歴史の遺構を訪ねてみてはいかがでしょうか?










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