ポップスシンガー、ソニービジュアルプロダクツ勤務 
木下淳次郎さん(高39期)


Profile木下 淳次郎(きのした じゅんじろう)さん

1987年八幡高校卒業(高39期)
1992年大阪外国語大学日本語学科卒業
ソニー(株)(現在は分社化してソニービジュアルプロダクツ(株))入社
会社勤務と並行して音楽活動も行う
2000年シンガポールに転勤
2002年マレーシアに転勤
2007年帰国
2009年バンド活動も復活。現在に至る

中学から音楽活動をスタートし、高校大学とバンド活動を行う。大学卒業後、ソニー(株)に入社。会社員と並行しつつバンド活動は継続。2000年からシンガポール、マレーシアに赴任し、2007年に帰国。2009年より音楽活動も復活し、現在も月1~2回ライブを行うなどを精力的に活動している。香月中学出身。


2017年7月某日、横浜・馬車道にて、会社員を続けながら精力的に音楽活動を続ける木下淳次郎さんに仕事と好きなことの両立するコツ、さらに当番期として関東総会への意気込み等についてお話を伺いました。

木下さんの音楽の関わり方について

音楽との出合い、学生時代の活動について教えてください

中学生の時、先輩のライブで歌わせてもらったことがきっかけです。中高では学内の他、北九州音楽祭に出演するなどかなり活発に活動し、大学では軽音楽部に所属しフォークの弾き語りとバンドで、学内外をライブで飛び回っていました。卒業後はプロも考えましたが、先輩に「プロを目指すなら東京で一旦就職しろ」と言われ、就職しました。ソニーを選んだのは「忙しくてバンド活動が難しい商社や銀行ではなく、メーカーで必ず東京に配属される大企業にしろ」という先輩のアドバイスに従ったこと、「ソニーで海外営業」というもう一つの夢を叶えたかったこともあります。


就職後は、順調にバンド活動はできたのですか?

それが最初の配属が厚木でして・・・。都心から遠いこともあり、慣れない環境に馴染むのが精一杯で仕事との両立は難しく、音楽活動は休止状態でした。希望の仕事でもなく、何となく時間が過ぎていた頃、新人の配属先を見直す動きで都内の職場に異動が決まり音楽活動を再開しました。バンド活動をしている取引先の人の縁で2つバンドを掛け持ちし、99年には渋谷の大きなライブハウス(クワトロ)に出られるようになるなど、「お、いけるかも」と順調な音楽活動が続きました。99年末にシンガポールに赴任が決まり、バンド活動は一旦休止になりましたが、2年後に移ったマレーシアでは日本人会の行事での演奏などチャンスに恵まれ、向こうでもいいペースで活動ができたのはラッキーだったと思っています。オリジナルではなく、コピーが中心で物足りなく感じることもありましたが、お客さまには喜んでいただけるのが嬉しくて、次第に東京でもこんなライブやりたいと思うように。結局、シンガポールに2年、マレーシアに5年半滞在し、2007年に帰国しました。


「自分を喜ばせる音楽」から「誰かのためになる音楽」へ

帰国後の活動について教えてください

帰国後は、すぐに前のバンド仲間とライブを始めました。ところが、その年に体調を崩し、半年ほど休職することになり、ライブ活動もお休みすることになったんです。病状は思ったより深刻で、病院の治療に加え代替医療などあらゆる方法を探しました。大変でしたが、一方でいろんな人との出合いがあり、「感謝」や「縁」を見つめなおすいい機会にもなりました。そうした流れのなかで、音楽に対する価値観も広がりましたね。病状が落ち着き、音楽活動を再開してから曲作りはもちろん、歌うスタイルも変わりました。


音楽への思いを熱く語る木下さん


どのように変わったのですか?

20代30代のころは「自分を喜ばせる」音楽をやっていました。褒められ、スポットが当たることが気持ちよくて、そのために活動していました。でも今は、性別や年齢に関係なく、誰が聞いても受け入れられるような音楽を目指しています。音楽のジャンルや、演奏のスタイルも、こだわり過ぎなくなりましたね。「誰かのためになる」音楽、人に喜んでもらえる音楽をやりたいと思うようになってきた。そんな気持ちでライブを行えば、みんなが幸せになれることを学びました。お客さまが今日明日を送っていく元気を取り戻して、「リフレッシュできた」「自分をチューニングできた」という言葉をいただいた時は本当に嬉しいです。それを僕は「お役立ちの魔法」と呼んでいます。


ライブの模様


好きなことをずっと続けていくために。

どんな努力、工夫が必要だと思いますか?

まずは、情報収集が大切だと思っています。やりたいことがあっても、環境面や経済面で両立が難しいと考える人も多いのではないでしょうか。だけど、諦めずに自分に合ったやり方を探せば意外にあるものですよ。今はインターネットであらゆる情報を集められるわけですから、どんどん活用すればいいと思います。僕は音楽でプロになりたかったけど、学生時代はどうしたらプロになれるかも知らなかったですから、今はいろいろ情報を集める手段があっていいなあと思いますね。
次に、優先順位を考え、コンディションを常に整えておくこと。僕の場合、ライブに備えることを優先して、職場の飲み会などはほとんどいきません。全ての場所でいつでも上手に「咲く」ことはなかなかできないので、「自分はどこで咲きたいのか」を自分の中で決めておくことも重要かもしれません。

心掛けていることはありますか?

いつも上機嫌で過ごすこと。僕も仕事でいろいろなことがあっても、上機嫌で過ごすよう努めていると仕事もいい流れになる気がします。結果として自分が「咲くため」の訓練の場になるように思います。
そして、自分だけでなく誰かのために役立ちたいと言う気持ちで好きなことに取り組めば、必ず伝わるし、周りもサポートしてくれると実感しています。自分だけでなく、人の視点に立つことを心掛けると、より世界が広がると思いますよ。


ところで、8月26日(土)の関東誠鏡会総会が直前に迫ってきました。最後に当番期として、今年の総会のPRをお願いします。

ライブ同様、参加される皆さんが元気をもらえる総会を目指しています。当日は「皆さん元気になってください」という、いい感じの“気”を振りまきたいと思っています。とにかく、めちゃくちゃイイ笑顔でいますから、見つけたら声をかけてくださいね。笑顔と、このヘアスタイルが目印です。


素敵なお話を本当にありがとうございました。


【編集後記】

  • 木下さんはとにかく愛にあふれる人。取材者・カメラマンにも終始気遣い、優しいことばをかけてくれました。
  • 大学進学時の仰天エピソード。最初の受験では大阪外国語大学のインドパキスタン語学科を受験したものの不合格。大阪で浪人生活を送る住居探しのために乗ったフェリーの中で、大阪外国語大学の日本語学科新設の知らせを受け、担任の先生に頼まれ受験希望者全員の願書を八高まで持ち帰ることに。ご自身も受験し、14倍の倍率をくぐり抜け見事合格。1ヵ月までには予測もしない出来事で大学入学となったそうです。
  • 現在も月に1度のペースで東京や横浜でライブ活動を行っています。次回のライブ予定は8月20日。横浜パラダイスカフェにて。




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