前関東誠鏡会事務局長 
森 猛さん(高10期)


Profile森猛(もりたけし)さん

1958年八幡高校卒業(高10期)
1988年第8回関東誠鏡会総会幹事
1994年関東誠鏡会事務局長就任
2006年関東誠鏡会事務局長退任

今年で37回目を迎える関東誠鏡会総会。
いつどのようにして関東誠鏡会が発足したのかを知らない同窓生も増えてきたのではないでしょうか。
そこで今回の「同窓生この人」は、普段の「各分野で活躍する同窓生」の紹介とは趣を変えた総会特別企画として、長く関東誠鏡会に事務局長として携わり、関東誠鏡会の継続と成長を見守ってきた高10期森さんに、「関東誠鏡会の成り立ち」について伺いました。
なお「年度が不確かな所もあるので、気付いた方はご連絡願います」とのことでした。

創立から36年

関東誠鏡会はいつ、どのようにして創立されたのでしょうか。

創立は1981年です。1976年に関西誠鏡会が創立していたこともあって、「関東にも誠鏡会を」という機運が高まっていたのではないかと思いますが、ちょうどその頃、当時本部誠鏡会の会長をなさっていた福田さん(中9期:1932年卒)が八幡から新日鐵の東京本社に栄転されたので、そのお祝いの会と併せて関東誠鏡会の創立総会が開催されることになりました。創立総会は新日鐵ビルで開催され、約330名の出席がありました。この時、主体となって会を運営したのが高7期(1955年卒)の方々でした。この年以降、毎年1回、関東誠鏡会総会が開催されるようになりました。関東誠鏡会の初代会長には、自治省次官を務められた首藤堯さん(中17期:1940年卒)が就任され、その後1998年までの18年間、会長として関東誠鏡会の継続と成長に尽力していただきました。


-創立総会の出席者一覧表より-


森さんはいつから関東誠鏡会に携わっているのですか。

総会当番期であった第8回総会(1989年)からです。前年の第7回総会にも参加はしていましたが、まだ主体的に活動しているというわけではありませんでした。
当時はまだ関東誠鏡会に事務局がなく、総会当番期が事務局を兼ねているような状況でした。300人ほどが総会に参加する規模なのに、事務局がいないというのはなかなか大変でしたね。そこで、以降の当番期の負担が減るように、自身の当番期が終わった後も私はそのまま関東誠鏡会にも携わっていきました。

いつ頃「事務局」が設置されたのでしょうか。

1991~2年頃です。同期の倉地君(高10期:1958年卒)が、当番期を経験した中で事務局の必要性を痛感して、事務局長として立候補したのが始まりです。それまでは、関東誠鏡会の活動は年に一回の総会だけでしたが、事務局設置後は年に2~3回の幹事会が開催されるようになり、期を跨いで様々な意見交換がされるようになりました。幹事会への参加は当番期の下2~3期まででしたね。それより下の期はなかなか集まりません。私が総会に参加したのも当番期の前年が初めてでしたから、仕方のないことかもしれませんが。そのあたりは今と変わりませんね。

「若い期が集まらない」と言う言葉はよく耳にしますが、何か策は打たれてきたのでしょうか。

2004年頃には、幹事会とは別に「活性化委員会」と言うものを開きました。色々な期に声をかけて結成し「当番期がいなくなった際にどうするか」や「若い期の参加をどう促すか」と言った「関東誠鏡会を盛り上げていくためにはどうすればよいか」を話し合っていました。メンバーそれぞれが忙しい時期に差し掛かり、半年ほどで解散してしまいましたが、当時当番期で現事務局次長の山本さん(高26期:1974年卒)や、前副会長の松本くん(高29期:1977年卒)に参加してもらえたのはよかったですね。その後の関東誠鏡会の継続と成長に大きく寄与してくれたと思います。

事務局長としてはどのようなことをされていたのですか。

倉地君が福岡に店を開店し常住する事になって以降、私が事務局長を10年ほど務めていたのですが、役員間の調整や予算の執行管理などの様々な事務局仕事をやっていました。あまりの仕事量の多さをみかねた高17期の室井君(1965年卒)が事務局次長を買って出てくれるまで、私一人でこなしていましたね。私の退任後は彼が事務局長として、そして山本さんが事務局次長として頑張ってくれました。

各期各様の総会が楽しみ

1981年以降毎年開催されている総会ですが、参加者はどのようにして集めていったのでしょうか。

私が当番期の時の連絡手段は葉書や電話で、主に葉書でした。当時はまだ名簿がなかったので、前年の当番期が集めた情報を紙でもらって、それをもとに各期幹事に更新を依頼していました。そこで倉地君が名簿を作って、事務局で管理をすることにしました。名簿の管理はその後も苦労があったようですが、現在は広報委員会と総会当番期が連携して、しっかりと管理された名簿になっていると聞いています。

集客や「つながり」を作る動きは昔から変わっていないようですね。

各期の横縦のつながりをまず頼って、そこから広げていくしかないですから。今は郵便や電話の他にホームページやメールなど色々なツールがありますが、手段が増えただけで、今も昔も新しい人を探すのは大変ですよね。

長く関東誠鏡会に携わってこられた森さんですが、印象に残っている総会はありますか。

1998年の第18回総会(当番期 高20期:1968年卒)ですね。会場は「ヴェルファーレ」でした。バンド「ザ・ワイルドワンズ」の鳥塚しげき氏の生演奏もありましたね。1フロアでは収まらなかったので、VIPルームも利用したと思います。

驚きや反対意見などはありませんでしたか。

事務局長であった私のところに相談がきましたが「いいですよ」とお答えしました。会長からも一任されていましたし、第一、当番期が決めたことや一生懸命やってきたことに水を差すようなことはすまい、と思っていましたから。1990年の第10回総会(当番期 高12期:1960年卒)の時は海上でしたからね。船の上での総会で、定員350人を超えるほどの同窓生が集まりました。
各期が色々と趣向を凝らせた総会は、変化に富んでいて毎年楽しみです。

つながりを大切に

先輩方が築いた関東誠鏡会が今も継続している理由は何だと思いますか。

母校愛、郷土愛、友達に会いたい。その気持ちが一番の理由だと思いますね。年に一回総会に参加して、同窓生と会って楽しい時間を過ごすのはよいと思います。そのお膳立てをするために、毎年の当番期が一生懸命やってくれてることはとてもありがたいですね。
それでも、若い期の参加がなかなか増えなかったり、総会の参加者が減少する時期もあったりと、なかなか簡単にはいきません。今後も色々と課題に直面することがあると思いますが、ぜひ新たな試みやつながりをもって克服していただきたいと思います。

最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

部活・出身中学を総会などの参加者名簿に書いてもらうのは非常によいですね。先日、関東へ研修旅行にきた八高生の歓迎会(歓迎会の様子はこちら)に参加したのですが、近くにいた生徒が同じ中学出身だったんですよ。「八幡高校の同窓生」と言うのはもちろんですが、それ以外にも共通点があると、より話がしやすくなりますね。
横のつながり、縦のつながりを大切にして、これからも関東誠鏡会を継続・成長させていっていただきたいです。


-第27回総会 つながり瓦版より。森さんとご親族-



本日は貴重なお話をありがとうございました。


【取材後記】

  • 取材にあたり、第一回の創立総会の参加者一覧(卒業期・名前の一覧)を拝見しました。当時の参加者は中1期(1924年卒)から高29期(1977年卒)までの約330名。改めて歴史の長さを感じるとともに、ここまで継続してくださった諸先輩に感謝申し上げます。
  • 今回、森さんにお話を伺えたのは、森さんが事務局長に在任中の2006年頃までのことでしたが、その後も関東誠鏡会は、
    ・2011年:広報委員会発足(ホームページの充実化やメールマガジンの配信開始、八高Facebookページの開設など、メディアを利用した交流促進)
    ・2016年:未来サポート募金の開始(関東誠鏡会の財政健全化、学生・生徒支援などに利用)
    ・2017年:皇居ランなどの交流企画の開始(総会以外の会員交流の場の提供)
    と、継続と成長に向けて活動中です。
  • 森さんは毎年総会に奥様と出席されています。奥様は八幡高校の卒業生ではありませんが、1999年頃に「家族もつれてきて交流してはどうか」と言うことで参加されるようになったそうです。今では同窓生にも負けない顔の広さだとか。
  • 私が関東誠鏡会に関わったのは2011年の第31回総会の時が最初でした。そこからは毎年多くの同窓生と交流し、刺激されたり多くのことを教わったりしています。しがらみのない同窓会で、森さんも仰っていた「つながり」を楽しんでいます。




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