ベストセラーとなった小説『海賊とよばれた男』(百田尚樹著・講談社) 、昨年末から公開された映画『海賊とよばれた男』(主演:岡田准一・東宝)をご覧になった方も多いのではないでしょうか?逆境の中、一代で大企業を起こした男のドラマチックな人生に、 また、消費者本位の確固たる信念のもと、巨大カルテルや世界の石油メジャーを相手に挑んでいくその姿に、日本人の矜持と誇りと勇気を与えられました。実話に基づくこの物語の主人公、国岡鐡造のモデルとなったのは、出光興産の創業者「出光佐三」氏です。 映画や小説の中に登場する北九州の言葉に懐かしさを覚えました。
出光美術館(門司)も昨年秋にリニューアルされ、北九州市でも映画にちなんでの観光に注力しています。ここでは『海賊とよばれた男』の門司の関連スポットをご紹介したいと思います。

出光商会創業の地、「海賊」が生まれた街、門司港を歩く

出光佐三氏は明治18年8月、福岡県宗像郡赤間村(現・宗像市赤間)に生まれました。神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業すると個人商店に就職、当時の神戸高商の卒業生は、大企業や大銀行に就職するのが常の時代。従業員数名の個人商店に丁稚奉公に 出たのですから、「高商を出ながら丁稚奉公とは、学校の面汚し」とまで非難する者もいたそうです。そして2年後に独立。明治44年、郷里に近い門司に、石油販売業、出光商会を開業しました。昭和15年に出光興産を設立。社員は全員家族であるという経営スタイルで、「出勤簿なし、定年なし、労働組合なし」の三無主義での企業経営は現代まで引き継がれています。


創業当時の「店主」出光佐三氏



出光商会東本町本店 初荷の様子

今では北九州の有名観光地となった「門司港レトロ」ですが、ここ門司港では青春時代の出光佐三氏の数々の痕跡を探ることができます。現在改修中の門司港駅(2018年完成予定)から和布刈方向に歩いて5分の所に「出光創業の地」(現在は説明板のみ)があります。この地から港までは数十秒。当時、厳しい販売テリトリーが定められた寡占状況の中で、海の上では自由販売ができるとの企画を立てて大成功。そう、「海賊」と呼ばれた所以の海上での安い軽油販売が行われた船が出ていた港はすぐそこです。


海賊と言わしめた、当時の計量器付給油船

出光美術館(門司)もリニューアル!創業史料室で「店主」の生涯がわかる

「創業の地」から歩いて数分、門司港レトロの観光施設のひとつ、出光美術館があります。出光美術館があるのは東京とこの門司だけです。美術品コレクターとしても有名な出光佐三氏が生涯をかけて集めた仙厓をはじめとする日本画、陶芸などの出光コレクシ ョンは秀逸。ゆかりの深いこの門司港の出光美術館は、昨年10月28日にリニューアルオープンされ、モダンながらもノスタルジックな面持ちを備えたレンガ調の外観に生まれ変わりました。また、美術館の展示設備が大きく向上して、出光コレクションのみならず、日本の書画、中国・日本の陶磁器など東洋古美術を中心に様々な特別企画展が予定されています。


リニューアルされた出光美術館(門司)

出光美術館の一階に併設されているのが「出光創業史料室」です。ここ門司港で事業を興した出光佐三氏の足跡をたどるミニシアターやジオラマなどの資料が多数展示されています。「海賊とよばれた男」の映画の中で使用された様々な物もこの史料室で見ることができ、映画や小説の物語に出てくる「店主」の姿を垣間見ることができます。

出光佐三氏の直筆がある「甲宗八幡宮」

出光美術館から北に300mほど行くと、出光佐三氏が結婚式を挙げたと言われる甲宗八幡宮があります。この神社の鳥居も出光氏が寄進したそうです。鳥居を潜って右手の石碑には「出光佐三」の文字が刻まれ、「甲宗八幡宮」の文字は出光佐三氏の直筆です。境内には寄付の足跡が沢山あります。稼いだ儲けを故郷、地域に尽くす、なかなかできることではありません。

大陸へのロマンを夢見た「旧大阪商船ビル」


旧大阪商船ビル

門司港の駅からすぐのところには、旧大阪商船ビルがあります。このビルの一階には大陸へ向かう船の待合室がありました。出光佐三氏が何度も通った中国大陸への渡航時にも利用されていたのでしょうか?欧米の企業に対抗し大陸市場への夢は広がり、極寒の満州へ向けて、機械油のサンプルの入った瓶を抱えて船を待つ姿を想像してしまいます。

贔屓にした巨大な料亭「三宜楼」は修復されて一般公開に!

三宜楼は駅から徒歩8分、港から離れた山手にあります。明治時代創業のかつて門司が栄華を放った時代の高級巨大料亭、現在の建物は昭和6年に建てられた木造三階建てで、現存する木造物では九州最大級の建物です。保存修復工事が行われ平成26年より一般公開されています。当時の門司港は、横浜、神戸に次ぐ交易港として栄華を誇っていました。金融、海運、商社、鉄道などの企業のお偉いさん方が好んで通う社交場として多くの商談が行われた料亭です。出光佐三氏も贔屓にしていたお客の一人で、俳人高浜虚子など数々の著名人が訪れています。


三宜楼の外観


三宜楼の内部

三宜楼の一階には平成27年にオープンした「三宜楼茶寮」があり、ふぐ料理が楽しめます。こちらは下関の老舗河豚料亭、春帆楼のプロデュースによってオープンした本格派。「三宜楼」は、かつては高級料亭だったため一般の市民には敷居が高く、中を覗くことができませんでしたが、現在では、保存復元され資料室を併設して誰でも見学できるようになっています。出光佐三氏が出光興産会長時代に残した手書きの名刺も展示されています。

出光佐三氏は、門司文化会館(現在の門司市民会館)の建設に尽力し、門司みなと祭りを始めたのも彼の提案だそうです。愛する門司の街に文化を定着するための様々な試みを行いました。また、関門トンネルの九州側出口は当初小倉につなぐ計画だったのを現 在の門司駅(旧大里駅)に近づけるように陳情し、計画を変更させたのも彼だったとの事。海賊と呼ばれた男は、門司の街に様々な痕跡を残しています。


現在はトロッコ列車「門司港レトロ観光線」で門司港を巡ることができる

出光佐三氏の唱える『士魂商才』の精神

出光佐三氏が残した言葉はいくつもありますが、特に有名な言葉として『士魂商才』が挙げられます。「人に迷惑かけようが、社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。それを私はとらなかった・・・」士魂商才とは、商人の才能・資 質と武士の魂・精神を併せ持っていること。卑怯な手を嫌い、正々堂々と真っ直ぐ物事を進めるという、私利私欲に走らず義を持つことの大切さ。小説や映画でも語られる「黄金の奴隷になる勿れ」という言葉は、消費者の利益よりも私益を優先することを戒めて います。「大きなビジョン」「確固たる信念」「諦めないで実現する実行力、継続力」そして「人を信じる心」。日本人とは良いものの見方と考え方を持っているのだなと改めて感じました。

故郷を誇りに思い、日本人として何をなすべきかを考え、世界を視野に活躍した出光佐三氏が青春時代を過ごした『海賊とよばれた男』の街を歩けば、若き日の国岡鐵造や出光佐三の想いを少しだけ感じることができるかも知れません。是非、帰省の際に足を運 んでみてはいかがでしょうか?



【編集後記】

筆者はお恥ずかしながら、この映画を観るまでは”アポロマークのガソリンスタンド=出光”が、こんなにも北九州とご縁があるということを知りませんでした。映画をきっかけに、出光佐三氏と北九州の関係に大変興味を持ち、色々と調べてみるとこんなにも様々な繋がりがあったのかと感心するばかりです。国の指定文化財となった赤間にある生家にも、是非訪ねてみたいと思っています。

「海賊とよばれた男」ゆかりの地MAP

DATA
・出光商会創業の地  福岡県北九州市門司区東本町1-1-1
・出光美術館(門司)  福岡県北九州市門司区東港町2-3
・甲宗八幡宮  福岡県北九州市門司区旧門司1-7-18
・旧大阪商船  福岡県北九州市門司区港町7−18
・三宜楼  福岡県北九州市門司区清滝3-6-8
・旧出光家住宅主屋  福岡県宗像市赤間4-11—28
・北九州市発行の観光パンフレット:「海賊と呼ばれた男 出光佐三の起点」
 http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000756626.pdf
 http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000750213.pdf




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