「かんもん北九州ファンクラブ」は「関門※が好きな人」なら誰でも入会できる会員制のクラブ。所在地は東京都だが、居住地も出身地も縛りはない。活動は「自分たちが楽しいと思うこと」をやる。名称どおり「ファンクラブ」だ。会員は 関東を中心に地元や全国に約600名。中には「関門が好きだが、北九州市にも下関市にも住んだことはない」という人たちもいる。

※関門=「かんもん北九州ファンクラブ」では、”関門海峡で結ばれた、北九州市・下関市・その近隣地域とその文化、自然、人、企業、食材の全て”と定義している

今回の「知っとぉ?故郷のこれ!」は、故郷に関わるこのファンクラブをご紹介。取材では、今年2月に「代表」に就任された藤城昌三さん(高12期)に話を伺い、クラブ主催の講演会と懇親会にも参加してみた。

取材を通じて感じたのは「会員の皆さんが魅力的」ということ。産官学の各界で活躍されてきた方が多く、知識と経験がとても豊富。そして、それらを会員間で共有し合う機会がこのクラブには多くある。また、北九州市や下関市の市政のキ ーパーソンと直接会えるのも魅力。お酒を片手に、市や市政などについて気軽な意見交換も行える。両市ともこのクラブにとても協力的で、会員向けに講演会をしたり、会報に寄稿したり、交流会には市長も参加されている。

なぜ、「一ファンクラブ」にこれほどの人たちが集まるのだろう?・・・と、その前に「かんもん」なのに名称に「北九州」が入っていて「下関」がないのはなぜだろう?代表の藤城さんに伺った。



「かんもん北九州ファンクラブ」代表 藤城昌三さん(高12期)
2002年 「北九州ファンクラブ」(現「かんもん北九州ファンクラブ」)に入会、2010年 副代表に就任、2017年2月より代表に就任。関東誠鏡会の顧問でもあり、2006年から2012年まで会長も務められた。

発足のきっかけは「鉄冷えの北九州」と「斜陽の下関」

まず、クラブの名称について教えてください。「かんもん」なのに「北九州」があって「下関」がないのはなぜでしょう?

それは、成り立ちが関係しています。このクラブの前身は1988年に設立された「ふるさと北九州市を考える会」で、当時、鉄冷えで経済が落ち込んでいた北九州市から関東の各同窓会に「故郷を応援してほしい」と声がかかって発足しました。その会では、「北九州はこれからどうすればいいのか」と真剣に論議を重ね、市に提案するといった活動をしていたそうです。当時の名称どおりですね。

一方、下関市も90年代半ばに関東の同窓会に声をかけ、「海峡観光都市 <かんもん> の会」が発足しました。当時の下関は「斜陽の町」と言われていました。

そして1997年、この「海峡観光都市 <かんもん> の会」と「ふるさと北九州市を考える会」を母体にした「北九州ファンクラブ」が、北九州市の支援を得て発足しました。その15年後の2012年、この時は既にそれぞれの市がドン底から抜け出していたわけですが、会の名称を「かんもん北九州ファンクラブ」と改めて、活動目的も「さらに多くの人と楽しく交流する会」とした現在の形になりました。


つまり、「かんもん北九州」は、前身の「かんもんの会」と「ふるさと北九州市を考える会」を合わせた名称なんですね。「楽しく交流する会に」から5年、現在の会員はどのような方々ですか?

会員数は約600名で、一番多いのは北九州市出身者です。関東を中心に全国にいます。他に下関はもとより、中間、遠賀、豊前、行橋など周辺地域の出身者や「転勤の間の2年間だけ北九州で暮らした」という人や「北九州にも下関にも住んだことがない」という人もいます。「関門のファン」なら誰でも会員になれますから。しかし、前身の2つの組織の発足から20年、30年と経って高齢化しています。会員の多くが60代、70代になり、若い世代に向けた取り組みを考えていかなければなりません。


確かにご高齢の方が多いようですが、皆さん、とても魅力的でした。

そうですね。年を重ねた分、知識や経験を豊富にお持ちですから。ちなみに会員には徳川家康を支えた本多平八郎忠勝の子孫もいます。テレビにもよく出演している俳優や落語の真打もいます。

数多くの知的交流の機会。

具体的な活動内容を教えてください。会員の知識や経験を共有し合う、知的交流の活動が充実しているようですが。

まず「ミニ講演会」について。会員が会員向けに行う講演会でテーマはまったく自由です。「仕事のこと」「趣味のこと」「学んでいること」など何でもいいんです。年に6回位あって、そのうち何回かを北九州市と下関市にもお願いしています。

北九州市東京事務所長(当時)の久保山さんによる講演
「地方議会ってなに?」



次に、「歴史講演会」と「史蹟散策会」があります。これらはそれぞれ年2回位開催していますが「歴史講演会」の今年2月の講師はさきほどの本多忠勝の子孫です。



また、「会報」を2ヶ月に1回発行しているのですが、こちらでも会員間でさまざまな情報を共有しています。





この会報には驚きました。A4・16ページに情報がビッシリですが、このボリュームで2ヶ月に1回の発行だと、仕事ならともかく、ボランティアでやり続けるのはかなり大変でしょう。もう「熱意」を感じずにはいられません。

そうですね。この会報は 1997年に創刊し、2ヶ月に1回の発行を20年続けています。全国の会員に加え、関連団体にも送っていますし、北九州市の中央図書館と文学館にも設置されているんですよ。そして、主にこの会報の功績だと思いますが、当クラブは北九州市から「イメージアップ功労」で 2015年に表彰されました。



その16ページの会報が1年に6回、ミニ講演会が6回、歴史講演会と史蹟散策が2回ずつとは、かなり充実していますね。知的交流以外はいかがでしょうか?

会員交流の場として「暑気払い」と「新年会」があります。そこには、北九州グルメに加え、山口・下関の「獺祭」「うに」などの地元食材も持ち込まれて盛り上がります。うまくすると「ふく(ふぐ)」も登場しますよ。

また、年1回、「地元との交流会」も開催されます。昨年は北橋市長、末吉前市長、そして、マラソンの君原健二さん(北九州市出身)も参加されました。毎年100名位の参加があります。

2016年地元交流会@小倉井筒屋
右から二人目が君原健二さん



2015年地元交流会@小倉井筒屋
高12期の皆さん



この地元交流会の時は、併せて北九州や下関の歴史スポットや施設を周る「バスツアー」も行われます。若松のエコタウンのバスツアーに参加した人たちは地元の人より詳しくなったのではないでしょうか?

2013年バスツアー
「赤間神宮」宮司の水野さんとともに




これまでの交流会には「北九州イノベーションギャラリー館長」「北九州市病院局長」「小倉郷土史会会長」「三宜楼運営協議会副会長」なども参加されていますね。「かんもん北九州ファンクラブ」には、なぜこれほどの方々が集まるのでしょう?

ひとつは「郷土愛」でしょう。故郷を離れた人も、その依頼を受け入れてくれる地元の人も、各界の要職についている人も、そうでない人も、皆が同じように郷土を愛しているから容易に一緒になれると思います。そして、もうひとつは「知名度と信頼」です。これは、20年を超える歴史の中で、諸先輩方が各活動を通じて築いていってくださったもので、今の私たちの大きな財産です。

今後の展開は「楽しさ」の追求。

最後に抱負を教えてください。2月に会長に就任されましたが、今後どのような展開をしていきたいですか?

ひとことで言うと「楽しさ」の追求です。「会員が楽しめる」活動をさらに充実させ、より多くの人が集うクラブにしたいと思います。最初は「鉄冷えをなんとかしよう」でしたが、今は「ファンクラブ」ですから。


インタビューへのご協力、ありがとうございました!





掲載されたブログに関する皆様からのご意見・ご感想をお待ちしています。
こちらよりお寄せください。