Profile

1978年 八幡高等学校卒業(高30期)
1983年 明治大学商学部商学科卒業
1983年 株式会社はせがわ東京本部入社

お仏壇のはせがわというと、「おててのしわとしわをあわせて、しあわせ、な~む~」のCMで有名な会社です。
元々は、地場産業として福岡を中心に展開していた会社ですが、昭和54年から関東に進出し、この度東証二部に上場を果たしました。
今回は、その東証上場の推進役を担ってきた、取締役マーケティンググループ長兼アジア部長の、江崎徹さんにお話を伺ってきました。
店頭での販売員、営業マン、店長、店舗開発、プロモーション販売促進など、様々な仕事を経て、3年前、経営企画部長のときに上場の準備を始める。その後営業(全国の小売店の責任者)に移り、取締役に就任。
アメリカ(全米最大の葬儀社)に出向する話が出たときは、日本文化を知っておくために、茶道を習ったり、京都の天竜寺で雲水の修行や托鉢も実践しました。この件は中止になりましたが、その後もいろいろ手がけ、全社のマネージメント、新規事業開発(ホームセンター買収など)、そして新しくお葬式ビジネスを始めました。供養全般を調べたら、お客さんが不審がっていることがたくさんあり、お客さんに供養全般をお世話するのがいいと判断し、喪主サポートサービスなども進めています。


高校時代を振り返って、今の仕事に役立ったと思うことはありますか?

八高の思い出というとやはり演劇部ですね。
あまり知られていませんが、僕達は九州大会まで行った実績があります。かなり頑張っていた部活でした。
芝居だから、作者が書いたものが何を訴えたいかは僕らに委ねられているわけで、その芝居をどういう方向で表現するか、高校生のくせにそういう議論はよくやっていました。作品を深く掘り下げ、意味を考えること、僕達にとって何が言いたくて、どう表現するのかということを繰り返しやっていたから、それは後々仕事に非常に役に立ちました。民芸の公演も月に一度はみんなで見に行き、今日の芝居は何が言いたかったのかなど、生意気に講釈をたれていました。ずっと戦略系、開発系の仕事が多く、新しいビジネスも立ち上げましたが、高校時代に、芝居を通して「物事を考える」ということをしていたのは大変良かったと思っています。考えて口に出して言うということは、簡単なようで訓練が必要です。


仕事の上でもチームワークは欠かせないと思いますが、それも演劇部で培ってきましたか?

演劇部は校内活動にとどまっていなくて、高校演劇連盟の関係で他校との交流が多々あり、人付き合いも広がっていました。当時先輩がやっていた劇団があり、その公演のために、よく学校をサボって裏方の手伝いに行っていました。
ひとつの芝居を作り上げるというのは、チームワークが大切なことは言うまでもなく、芝居との出会いは僕にとって大きな意味があり、人との付き合いや繋がりの大切さを学んだ気がします。


大学では演劇活動をしていませんが、その理由は?

「あんなもんやっていたらおおごとする」と思ったからです。そのままのめりこんで、やくざな人生を歩みそうだから、きっぱりやめました。舞台の独特のにおいを知ってしまったら、なかなかやめられないものですよ。
会社で接客のロールプレイングをホールでやったりしますが、今でもいいなと思います。しかしその世界に行かなくて良かったと思っています。


大学時代はどのように過ごしていましたか?

大学では、自分たちでサークルを作って、スキーしたり野球したりして遊んでいました。特に何の勉強もせず、友達と如何に遊ぶかが主流で、人間関係をうまくやる方法を学びました。
それと週4日、小学生の家庭教師をしていました。行きつけの飲み屋で知り合った、町工場を経営しているおじさんから、ある日突然「おまえ、明日うちの母ちゃんの面接を受けろ」と言われまして、その息子さんの勉強を見ることになったのです。毎回勉強をみた後は、その家庭で夕食をいただき、さらに一杯やって社会勉強させていただきました。
息子さん二人の家庭教師の務めを終えたときには、一度も値上げを要求しなかったからと、大島紬の着物一式をプレゼントされました。人との出会いというのはおもしろいですね。その人には婚姻届の保証人にもなってもらい、今でもお付き合いを続けています。


就職するときに今の会社を選んだ理由は何ですか?

あちこちいろんな会社を訪問しましたが、いまひとつ納得がいかずにいたところ、うちの会社を見つけました。
ちゃんと物作りをしていること、福岡の会社だからいずれ九州に帰れるかな…でもまだ東京にいたいと思ったこと。
でも一番の決め手は現在の会長に出会ったことです。当時は小さい会社だったから、いきなり社長(今の会長)の面接だったわけです。とても強烈な人で、こんなおもしろい人がいるのか、この人と仕事をしたいと強く心惹かれました。


上場するまでの苦労を教えてください。

上場するに当ってはいろんなハードルがあり、かなり厳しくエンジンをかけながらやっていかなければいけませんが、僕の場合はみんなと対話し、人との付き合いを大切にしながら推進してきました。役員という立場は、通常みんなにハッパをかけなければいけませんが、そういうやり方は好まず、チームワークを大事にしながら今回の上場を果たしました。昔は売り上げを伸ばせと必死にやりましたが、今回は社員に無理はさせず、ちゃんとキープして目標をクリアしていくということを実践しました。目標に対して何をやってお客さんとご縁をいただくか、それをきっちりやったのです。昔とは知名度も違うので、今は優秀な社員が入ってきており、社員の質も上がっています。



これは東証での認証式を終えた後の写真です。認証式では鐘を鳴らします。5回叩くんです。5が縁起がいいということで、5発と決まっています。営業代表で叩き「ようやった!」と思いました。やっぱり東証は基準とレベルが違う気がします。社員の求められる動きが変わってきますね。仏壇事業で上場しているところは他にないですし、達成感は大きなものがありました。


これまで仕事をやってきた上での信念は何ですか?

日本の世の中は謙虚じゃなくなってきている。物質のサイドだけで考えることが多くなった社会だと思う。僕らは大切な家族をなくしたお客さんを相手にさせてもらっているから常々謙虚になれる。その家族の痛みを感じたり、後悔が伝わってきたりするので、それを自分の家族にも反映できるし、お客さんからたくさん学ばせてもらえます。ただ単にものを売り買いするだけでなく、人の命の大切さや命の繋がりを、お客さんが学ばせてくれる、それは大事にしたいと思っています。目に見えない、計算できない、何かわからない大いなる働きは、無視するわけにはいかないと実感しています。そうやって考えたほうが幸せなときもあると思うのです。ものごと理屈で全部は片付きませんよね。


最後に関東誠鏡会のみなさんに一言お願いします

すみません、あんまり参加できていませんが、これからなるべく貢献できるようにしたいと思います。




お忙しい中、インタビューにご協力いただきありがとうございました。






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