今回ご寄稿いただいた高30期 野下美恵子さんは、ご主人の駐在に伴い、現在シンガポール在住です。 彼女は、シンガポール国立博物館のボランティアガイドとして活躍しています。
シンガポールは古くから日本との関わりが深く、意外なところに日本の痕跡を見つけることができる魅力的な街のようです。
住んでいるからこその目線で日本との歴史を交えながらレポートしていただきました。


国立博物館ガイドのみなさん:左端が野下さんです。


シンガポールといえば誰もが頭に浮かぶのはマーライオン。
マレー年代記「スジャラムラユ」によると、パレンバンの王サンニラウタマがこの島に辿り着き、ライオンと思しき獣を見たので、この地をサンスクリット語で「ライオンの街」という意味の「シンガプーラ」と名付けました。
さて、このマーライオン、日本の愛知県美浜町にもあるのをご存知ですか?美浜町というのは、日本人で初めてシンガポールに移り住んだ山本音吉の出身地です。

山本音吉は、1832年、宝順丸という千石船に乗り江戸へ向かう途中嵐に遭い、太平洋を一年2か月も漂流した後アメリカ西海岸へ漂着。
その後イギリス経由でマカオに送られ、翌年モリソン号で日本へ向かいますが、異国船打払令により、浦賀と鹿児島で砲撃を受け帰国を断念。その後上海で貿易に従事した後、マレー系の女性と結婚し、1862年にシンガポールへ移り住み、貿易商として成功した日本最初の国際人と言われています。
音吉は日本へ帰国することなく49歳で亡くなり、今はシンガポール日本人墓地公園に眠っています。

その日本人墓地は明治時代から120年以上ある墓地です。
今は公園となっているその墓地の中で、最も古いお墓は「からゆきさん」のものです。
彼女たちの多くは、貧困から逃れるため、或いは身売りされ世界各地へ渡って行きました。哀しい歴史がここにも垣間見えます。

かつて「日本人街」と呼ばれていたのは、現在のMRTブギス駅にほど近いミドルロード周辺一帯でした。現在ラッフルズホテルが建つビーチロード沿いには、「都ホテル」をはじめ日本人が経営するホテルや旅館が立ち並んでいました。
そして街の中心であったミドルロードで最も賑わっていたのは「越後屋」でした。その店舗には、当時シンガポール唯一のエレベーターが設置されていたそうです。
また、ビクトリアストリートとミドルロードの交差点の角には、1920年代、「山本歯科」という3階建ての歯医者がありました。その「山本歯科」の院長だった山本作次郎は、シンガポールでの日本人歯科医師第一号で、建物の上の階を教室にして、日本の青年や、地元の人々に歯科技術を教えていたそうです。
この跡地周辺は、現在、立派な国立図書館が建っており、夜遅くまで祝日を除き毎日オープンしています。
5階のSutudy Roomはガラス張りで明るく、窓際のデスクにはPC用LANと電源があり、ソファ席もあって飲食OKなので、歩き疲れて一休みするのにも使えます。

ミドルロードには、シンガポールに初めてできた日本小学校もありました。名称を「日本人小学校」ではなく「日本小学校」としたのは、日本人が経営するゴム園で働く人々の子どもたちも受け入れていたからということです。
現在、建物はほぼ当時のまま残っていて、「スタンフォード・アートセンター」として利用されています。白い建物にピンクの屋根と窓が可愛らしく、中に入ると、廊下も階段も校舎らしい雰囲気が残っています。


肉骨茶:バクテー


日本からシンガポールに伝わったものに人力車があります。
リックショーと呼ばれ、安価な交通手段として大変人気がありました。その人力車の引手は苦力(クーリー)という出稼ぎ労働者達で、過酷な労働条件のもとに働いていました。
低賃金で重労働の彼らにとって、安くて良い栄養補給源にと考えられた食べ物が、現在シンガポールの代表的ローカルフードとして人気がある肉骨茶(バクテー)です。

さて、私が時折ボランティアガイドをしているシンガポール・アート・ミュージアムですが、シンガポール初の美術館として1996年に開館しました。
その建物は元々は聖ヨセフ学院というカトリック系の男子校でした。バチカンのサン・ピエトロ寺院を模した造りとなっており、十字架がそびえるドームを中心に、左右対称に扇状に広がる柱廊は、均整が取れた大変美しい建物となっています。


国立博物館の50枚のステンドグラス


そしてスタンフォード通りの方に行くと、シンガポール国立博物館が見えてきます。この博物館も大変美しい建物となっています。
ボランティアガイドに応募してから、こちらも何度となく通っていますが、飽きることなく毎回うっとりとさせられています。
この建物の古い部分は、ヴィクトリア女王在位50周年を記念して1887年に建てられました。高くそびえるドームの天井には、50枚の美しいステンドグラスがはめ込まれています。
その後増改築を重ね、2006年に現在の姿で開館しました。
誰もが楽しめる開かれた博物館というコンセプトのもとに塀がなく、カフェやレストラン、ミュージアムショップを利用するためだけでも無料で入れます。
ヒストリーギャラリーのみが有料で、そこでも私はガイドをさせて頂いています。


ブラナカン建築


そしてもう一つ、プラナカンのお話しをしなければ。
プラナカンとは、15世紀後半からマレーシアやシンガポールに商人としてやってきた、中国系の移民の子孫のことです。彼らは現地の女性と結婚し、中国やマレーの文化とヨーロッパの文化を融合させた独自のスタイルを築きました。
プラナカンの建物はパステルカラーで、一階が店舗や事務所、二階が住居になっており、ショップハウスと呼ばれています。西洋建築のスタイルも取り込み、よろい窓や瀟洒な柱で彩られ、ファサードには花やつる草模様のレリーフが施され、まさに東西文化を融合させたものになっています。
プラナカンのことを詳しく知りたい方は、是非プラナカン博物館を訪れてみてください。
その建物は可愛らしく、中には目を見張るほどカラフルで豪華な展示品が、多すぎず少なすぎず、観光客にちょうどいい規模の博物館です。


ブラナカン博物館


数年前にトランジットで2回半日観光したときには、シンガポールにさほど魅力を感じませんでしたが、住んでみるとなかなか面白いところです。
面積が東京23区内とほぼ同じという、大変小さな都市国家ですので、暑さ対策をすれば短期間でもかなり周ることが出来ます。
シンガポールにご興味のある方、ご質問があれば遠慮なくお知らせください。

高30期 野下美恵子