皆さんが思い出す北九州の名所といえば、どこですか?
皿倉山、小倉城、八幡製鉄高炉跡? 門司港レトロ街なんて声も聞こえてきます。
そんな誰もが知っている名所とは違って、知っているようで意外と知らない北九州のビューポイントを、関東にお住まいの皆様にお届けします。北九州に帰省の際、もし機会があれば一度訪ねてみてはいかがでしょう。

今回は、若松にある「上野海運ビル」をご紹介します。

八幡高校在学時、若松から通学されていた方もけっこういらっしゃるのではないでしょうか。通学の足といえば、若戸渡船、3分間の水上クルーズです。昭和40年代の運賃は10円でしたが、今では片道100円になっています。
その若松渡船場に降り立つと、右手に若戸大橋を仰ぎ、左手の若松南海岸通りに連なる一角に「上野海運ビル」が見えます。

 

洞海湾の中ほどに位置する若松南海岸は、大正から昭和にかけて日本一の石炭の積出港としてとても賑わいました。
筑豊で採炭された石炭は、遠賀川を下り、折尾で堀川に入って、ここ若松南海岸に集積されたのち、日本全国に出荷されて行ったのです。八幡の製鉄とともに、若松の石炭海運は北九州地方の二大産業でした。
石炭景気に沸いた若松の歴史の中、岩崎弥太郎が経営する三菱合資会社が若松支店として、大正2年(1913年)に建設したのが、現在の上野海運ビルです。若松南海岸には、他にも「旧古川鉱業ビル」や「石炭会館」など、歴史的にも貴重な建物が並んでおり、当時の若松の経済力の高さを示しています。往時を偲びながら、それらの建物をゆっくり見て回ると時間が経つのを忘れてしまいます。

上野海運は、大正12年に上野益蔵が石炭海運会社として創業し、時代の流れに対応して現在は鉄鋼製品やセメント関連荷物の海外運送を中心事業としています。
さて、いよいよ上野海運ビルに入ってみましょう。今回案内していただいたのは、上野隆蔵さんです。上野さんは、上野益蔵の孫にあたり、八幡高校30期の誠鏡会同窓生でもあります。
ビルの外観はシンプル性を基調とし、外壁にはドイツから輸入したレンガが使用され、そのレンガ造りを補強する大き目の石を効果的に配置しています。建物の内部に入ると二階から三階へと解放感のある吹き抜けとなっており、ステンドグラスが嵌め込まれた光天井は当時のままで一見の価値があります。
重厚な趣の階段と手摺りは黒光りして、石炭で栄えた若松の歴史が刻みこまれているようです。
そのような古い佇まいを活かして、この場所は、焼酎「二階堂」のコマーシャルのロケにも使われているんです。


吹き抜けを取り囲むように回廊が配置され、そこから各事務室に入室する構造になっています。
もともとは海運業関連の事務所でしたが、平成20年頃から、若い人達に店舗として開放するようになり、彼等の新しいチャレンジに一役買っています。オーダーメード家具店、革製装飾品、コドモ洋服店やハンドメイドアクセサリーなど、現在、約15店舗が入室しており、今では、古いビルと新しい試みのコラボレーション空間として、若い人たちのデートスポットとなっています。
私たちもビルの一室のカフェに入店してくつろぐことにしました。遠くに皿倉山、目の前に洞海湾を一望できるこの場所でくつろげるのは、至福のひとときです。

 

上野隆蔵さん(高30期) 中之島


  ここで上野さんに、若松の歴史を語る面白い古い地図を見せて頂きました。
若戸大橋の真下は、洞海湾で最も狭い場所なんですが、なんとそこには、大きな島がどーんと存在しているのです。中之島と書いてあり、数社の造船会社が名を連ねています。しかし、狭い場所に大きな島があったのでは、船舶の運航の邪魔になるという理由で、造船会社は移動させられ、中之島は跡形もなく掘削されたのです。
当時の石炭海運事業の勢いを感じさせるエピソードですね。
ところで、上野ビルはTVコマーシャルだけでなく、映画のロケ地として使われていることをご存じですか?
ドラマ「我が家の歴史」や「はだしのゲン」に上野ビルは登場しています。松たか子さんが出演した「K-20 怪人二十面相・伝」では、上野ビルは、映画の印象的なシーンに一役買っています。


「K-20 怪人二十面相・伝」上野海運ビルでのロケシーン


以上、日本の近代化を支えてきた歴史ある街、若松の上野海運ビルをご紹介してきました。是非一度、北九州のもうひとつのレトロ街に足を踏み入れてみませんか?


高30期 仲宗根陽一