6月30日、土曜日の昼下がりに祖師ヶ谷大蔵(「大蔵」に反応してしまう私です)の呉服屋さんに向かった私の耳に三味線の音が聞こえてきた。会場のある二階への階段を上がると会場の入り口に高29期同期生の富士松延千代師匠が三味線を弾きながらお出迎えである。

会場は18畳ほどの和室だが、椅子席が設けられていて、膝の悪い私には有り難い配慮。25席ほどの席はほどなく埋まって、まずは延千代師匠のご挨拶から。

「江戸時代、三味線の音色に二階の窓から声をかけ、通りで新内流しが一曲弾き歌うのを聴いて、気に入ったら“おひねり”を投げて気持ちを渡すのが新内流しだったんですね。そんな新内流しをいまの時代に楽しんでもらうには、歌詞の中に出てくる言葉や江戸時代の風俗を知ってもらうのが一番と思い、このようなライヴを始めました。お弟子さんにイラストを書いてもらったりして、スライドを作り、私の三味線と唄を交えながら、今日は吉原についてお話ししたいと思います。」

襖二枚分ほどのスクリーンにスライドが映し出され、「延千代の大江戸スライドライブ」の始まり、始まり~!

さて、本日のテーマは『そうだったのか!江戸吉原』。
延千代師匠の解説を借りながら、ライブの様子をお伝えしてみよう。読み終わった時に『そうだったのか!江戸吉原』と、手を打っていただければ、大喝采!!

まずは桜の花に囲まれた吉原の様子がスライドで映し出され、延千代師匠の「桜の季節には桜の木を植え、桜の花が散ると他の木に植え替えた」という説明が続く。日に三千両のお金が動いたという吉原、やることが豪奢である。

当時の三大遊郭は、江戸の吉原、大阪の新川、京都の島原なのだそうで、そういえば時代劇などで耳にしたことがある地名だ。
公設の遊郭に対し、私娼を置いて商売していたのが『岡場所』。江戸時代初期は男女比が極端に男側に偏っていて(5:1、末期にようやく1:1)、その種の商売にもいろんなスタイルがあったのだとか。延千代師匠がさらりと「今でいうデリヘルもあったそうです」などとのたまう。

吉原は、最初はいまの日本橋室町付近にあり、やがて『元吉原』と呼ばれた旧・吉原が明暦の大火で炎上してしまった際に場所を移して、いまの台東区浅草千束の田んぼの中に新・吉原が作られた。周囲は掘割で囲まれ、吉原へ続く堤の道は見通しがいい。「知った顔に出会っても知らぬ顔」が不文律になっていた。また、吉原の出入り口は大門(おおもん)一か所のみ。番所が設けられ、遊女の脱出に目を光らせていた。
遊女はみな売られてきた身。吉原から逃げたい一心、苦界から逃れたい一心でつい火をかけてしまうことも多かったらしい。江戸の大火の八割は吉原が火元だったという。

ここで延千代師匠が『深川節』を披露。なんとも風情がある。

さて、吉原で遊ぶには、見世(店のこと)でいったいいくら必要だったのか?
当時の遊女のランキングを記した、いわば『遊女ミシュラン』とでもいうべき本が『吉原細見』といい、残っている。載っているのは基本料金だけだが、実際にはチップやらなんやらでその3倍以上は必要だったというから、大変だ。

吉原では見世の構えでその格が判別でき、大きな見世の最高級の遊女は『太夫』と呼ばれた(江戸中期まで)。遊女の定年は27歳で、客の引きが悪くなると格下の店に移らされ、これを「鞍替え」と呼んだ。

話をもどそう。『お大尽遊び』にかかった金額はいくらかという話。
揚げ代(基本料金)は今のお金にして約12万円。意外と安いじゃないと思った方も多いと思う。が、それだけでは済まない。
まず最初に太夫御一行(幇間[たいこもち]や付添の遊女や小娘など)を「引手茶屋」と呼ばれる料理屋に呼び、ひとしきり飲食と座敷遊びをし、皆にご祝儀を渡し、その後にようやく見世に戻って太夫と二人きりになるのだが、ここで「床花」(遊女に個人的に渡す枕代)を渡し、締めて合計120万~150万円を一晩に支払っていた。
そのうえ、初回と二回目は太夫に嫌われなければ一緒に朝まで過ごせるだけで、触れてはならない。手を出そうものなら、『無粋』と嫌われ、二度と会ってはもらえなかったらしい。三回目にようやく床入りが果たせたというから、確かに『お大尽遊び』である。それだけお金をつぎ込み、焦らされた末なら、天にも昇る心地になろうというものである。なんとも恐るべき太夫の男心手玉テクニックである。

しかし、太夫と呼ばれた高級遊女はほんの一握り。大多数の遊女は、栄養状態も悪く、性病に罹る恐怖にさらされながら、文字通りその身を売っていた。太夫が輝けば輝くほど、対極の闇もまた深かった。吉原の光と影である。

ここで吉原に関するクイズ三題。正解者には師匠からプレゼントがあるという。会場が沸く。が、悲しいかな私は三問とも不正解。三択問題でもこれである。やれやれ。

遊女が夢見る幸せが『身請け』である。遊女の客が、見世との約束の年限(年季)が来る前に身請け金を支払って、遊女から身を洗わせることである。身請け金は、見世への借金残額と年季までの稼ぎ分の補填分やチップなどの総合計である。その最高額は、いまのお金にして4億5千万円ほどにもなったという。う~ん、それだけのお金を費やしてもいいほど愛されたら、女冥利に尽きるというものだ。
愛はお金に替えることはできないけれど。

さて、そんな遊女ではあるが、仕事が仕事だけにこころを癒すこともないとやっていけなかった。彼女たちのこころを癒してくれる、そんな存在が間夫(まぶ)、遊女の恋人である。遊女たちにとって間夫はこころの支えであったが、ときに悲劇の原因にもなった。実際にあった事件を元にしたと言われる新内「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」にその悲劇を見ることができる。

延千代師匠による新内「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」。幸せにつながる身請け話が間夫の一言で一転して悲劇へと転じていく哀れを、三味線の音色と哀切さを湛えた唄声で聴かせてもらい、感動させられてしまった。

終盤は、延千代師匠の独演会である。都々逸(どどいつ)に続いて端唄を各数曲ずつ。歌詞にはシャレや掛詞が含まれていて、艶っぽかったり、笑いを誘ったり。江戸の人々は気持ちに潤いのある生活を送っていたに違いない。もちろん、延千代師匠の技量も一役買っている。

終わってみれば、あっという間の1時間40分であった。
初めて聴く新内流しは、近頃耳にすることの多い津軽三味線のビートの効いた太い音とは違い、潤いのある繊細な三味線の世界であった。こころに染み入るものがあり、また機会があれば聴いてみたい。それに生の音がよい。会場が広くないのもよい。すぐ目の前から音が響いてくる。師匠の息遣いまで伝わる。ライブならではである。
同期の仲間の頑張りを見せてもらい、嬉しかった。元気をもらうことができた。ありがとう、師匠。

高29期 松本勝義

※このライヴは3回公演で、8月25日(土)に四谷荒木町で最終公演があります。

会場など詳しいことは延千代師匠のHPをご覧ください。
http://www8.ocn.ne.jp/~hirake58/osirase.html

また、延千代師匠の演奏(2010年の公演)をyoutubeで視聴することができます。
http://www.youtube.com/watch?v=ZZUDDow6aBk

上記の文章中の解説は、延千代師匠のライブでの解説を筆者が記録して書き起こしたものですが、

誤りや表記の相違がある場合は筆者の責任に帰するものです。その際はご容赦ください。