宮城県大崎市。八幡生まれの私にとって縁もゆかりもないこの市を、「ふう~ん、そういう市があるんだ」と私が認識したのは、農林水産省に勤める八高の同級生が市の幹部として出向した先だったからです。
その同級生の名前は「丸田くん」といいます。
高校時代はまったく接点がなく、言葉を交わしたこともありませんでしたが、関東での同期会で話をして以来、もう欠かせない仲間となりました。
八高時代は郷土部で、奥さんも郷土部の一年後輩です。

一昨年秋に丸田くんと大崎市長が北九州を訪れた際、地元の29期が「丸田くんと大崎市長歓迎会」を開催しました。
そして、昨年2月には丸田くんが企画した「丸ちゃんと巡る『伊達な旅』」に北九州、関東の29期生が参加し大崎市を訪れ、大崎市長も出席した歓迎会で29期生は歓待を受けました。
このことは29期のメーリングリストに逐一報告されました。

昨年3月に八幡で『伊達な旅』のビデオ上映会が開催された翌日、あの大地震が起き、津波と原発事故が追い打ちをかけました。
丸田くんと彼の家族の消息が判明したのは、震災発生から3日たってからでした。
以下に丸田くんが忙しくそして時間のない中で29期のメーリングリストに寄せてくれた(または丸田くんのメールを転送した)メールを転載します。
被災した現場で頑張っている一人の同窓生の声をお読みください。

丸田くんからのメールに私は毎回励まされました。
テレビなどでもよく言われていることですが、励まそうとしている側が励まされている。
丸田くんもメールで言及していますが、復興が成るには相当の期間が必要となりそうです。私たちも息の長い応援を続けていきたいと思います。

高29期 松本勝義

3/14 丸ちゃんは元気で、災害対策本部で奮闘中。from O場さん
  『メールありがとう。僕も家族も怪我一つなく元気。
大崎市は死者行方不明が10名、僕は食料や物資調達の責任者で寝る間もありません。』

丸ちゃんから上記のメールが届いたそうです。
近隣の支援、援助なども含め、これからもまだまだ大変な日々が続くと思われますので、くれぐれも、無理しすぎないようにしてほしいと思います。

3/20 災害対策本部で奮闘中!! from 丸田雅博
同期の皆様へこんばんは。
皆さんに大変ご心配いただきました。ありがとうございます。
お蔭様で、家族も僕も怪我なく元気です。

実は、妻は入院した義父を看病するために、北九州に帰省しており、11日は大崎市に居ませんでした。
本当の「不幸中の幸い」です。
余震が続く状況にあって、大切な妻が恐ろしい思いをすること無く、今も安全なところに居るのは幸運です。
また、東京に居る息子も、家に帰れず会社に泊まったと言っていましたが、もちろん大丈夫。

ようやくNTTが復旧したので、こうしてメールすることが出来るようになりました。
ピーク時には、1万人以上いた大崎市の避難者も、今日1000人を切り、少し光が見えてきました。
でも、ニュースでご承知のとおり、この東日本大地震で甚大な被害を受けたのは沿岸部ですし、福島原発のことは予断を許しません。
これから、宮城県の沿岸部や福島からの避難者を大崎市でも受け入れる準備を始めています。

地震後すぐ、大崎市でも災害対策本部を立ち上げ、僕は資材調達と援助物資の担当を命じられました。
H野さんやI上さん達から携帯等に暖かい励ましや援助の申し出の連絡をもらいました。

そして、2月の「伊達な旅」参加者を中心に義援金を集めていただきました。
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
伊藤市長にも報告しましたところ、大変感謝していました。

一時は、ミルクが集まらず焦りましたが、どうにか一番苦しい時を乗り切りました。
当面のミルクや離乳食を確保することができ、災害対策本部を訪れる若いお母さん達にも十分対応できています。
姉妹都市からの援助物資等のおかげです。

大崎市の災害情報は、HP〈http://www.city.osaki.miyagi.jp/index.html〉をご覧下さい。
とても残念ですが、「伊達な旅」でみんなをご案内した旧有備館や醸室は全壊です。
上の家は大丈夫のようです。

発生から10日が過ぎました。
市役所職員も疲れが蓄積し、厳しい毎日が続いています。
ですが、皆さんのエールを胸に頑張ります。見守ってください。
まずは、近況報告とお礼まで。

3/28 大崎市からお礼申し上げます。from 丸田雅博
伊達な旅チーム御一同様
M本 様

皆さん こんばんは。
被災以来、たくさんのエールと暖かい心遣いをいただき、本当にありがとうございます。

18日が経過しましたが、僕はコンディションを崩すことなく、業務に励んでおります。

大崎市に限れば、最後まで復旧に手こずったライフラインの水道が明日正常化する予定です。
そうなれば、市役所全体で災害対策から、復興対策にハンドルを切ることが可能となります。

さて、本日、伊達な旅チームを取りまとめてくれたH野さんとM本君から、
それぞれ義援金の現金封筒とふるさと納税の知らせが丁度一緒に大崎に届きました。

バタバタしている時でしたが、ジーンと来ました。
同窓生からこんなに良くしてもらえるなんて、僕は幸せ者です。
暫しの間、皆さんが書いてくれた手紙に吸い込まれるように見入ってました。

しかも、伊達な旅に参加できなかったE藤さんとM本君からも賛同していただき、感謝の言葉も見つかりません。
さっそく、伊藤市長に報告し、事務手続きを取ってもらいました。
市長から、八幡高校の皆さんにお礼を言っておいてくれと頼まれました。ありがとうございます。

皆さんの気持ちに答えるには、一日でも早く大崎市の元気を取り戻すことだと思っています。
しかし、福島原発の影響が大崎市の農産物にも迫ってきており、まだ再出発のスタートラインにも立ってはいません。
膨大な時間もかかると思いますが、復興への断固たる決意を持ちベストを尽くします。

今は、これだけしか皆さんに伝えることはできません。

併せて、本日、M口君からのDVDも届きました。
何時になるかまだ分りませんが、余震が収まり妻が大崎市に戻り、さらに、大崎市の復興がレールに乗ったら、ぜひ2人で見たいと考えています。
それまでは、大切にしまっておきます。楽しみに・・・。

どうも、うまく気持ちをメールに乗せることができません。すみません。
とにかくありがとうございます。とてもうれしかったです。勇気ももらいました。
皆さんと再会することを楽しみに、また明日から頑張ります。


4/8 皆さんへ、無事です from 丸田雅博
こんばんは。

災害対策もやっと落ち付きかけ、この土日は久しぶりに休めるかな?と期待していたのに、180度違ってました。
昨晩の11時半頃に布団に入るや否や震度6弱の余震に見舞われました。

3.11以来、ダイニングテーブルの下に布団を敷いて寝ているのですが、結構揺れてまた停電。
真夜中に作業着に着替えて、災害対策本部に飛び出し、今帰宅したところです。

専門家が「余震に注意。」と話していたけれど、こんなに大きいとは驚きました。でも、幸いにも、妻はまだ北九州ですし、僕も怪我一つありません。
幸い天井も落ちてきませんでした。

大崎市全体でも、逃げる際に転んで手首を折った方が一名いますが、その人以外は軽傷です。死者は居ません。
こうしてメールできるのも、僅か一日でNTTと電気が回復した証です。

と言うことで、今回の余震の被害は思ったより小さいものでした。ご心配をおかけしました。
実を言うと、今日は沿岸部に視察と打ち合わせに行こうと考えていました。

もしも、沿岸部に着いた時にこの余震と思うと気味悪いです。
色んな経験をさせていただくのは、ある意味ありがたいけれど、もう復興に専念したい。そして、

怖い思いももう十分でございます。・・・・と言う心境です。
とりあえず、無事のお知らせです。

まだまだ楽にしてくれそうにありません。
今回の地震は手ごわそうですが、負けずに頑張ります。


4/14 昨日、新澤酒造を訪問しました。from 丸田雅博
H野さん。こんばんは。
そうです。まだ、テーブルの下で寝ています。可笑しいよね。

大崎市の宿舎は、旧道路公団の宿舎を譲り受けたもので、30年以上の物件です。
毎日、通勤途中、近所の家屋が全壊や半壊している様子を自分の目で見ているから、当分の間はこのままかな?

でも、良い意味で意外なのですが、3月11日の大震災もその後の余震でもひび一つ入っていません。今のところ。
だからと言って、安心もできませんが・・・・。

さて。新澤酒造は大崎市の蔵元で一番の成長株です。「伊達な旅」で好評だったヨーグルト酒も手がけています。
3つの蔵の内2つが全壊と聞いていたので、昨日、担当課長と2人で激励と再建に向けての情報提供に行ってきました。

若社長の揺るぎない再建への決意に安心するものの、そのあまりにも大きな試練に、言葉も見つかりませんでした。
最近、福島原発の放射能の影響で、福島産の日本酒のほとんどが取引を断られています。

だから、若社長は、宮城も時間の問題かも知れないと危惧しています。
再建するにしても、判断が付かない。再建の場所を何処にするかを間違ったら、命取りだと言っていました。

また、一ノ蔵の会長とも今日連絡を取ったところ、6月に計画していた「一ノ蔵を楽しむ福岡の会」は中止だそうです。
近日中に、このメーリングリストでPRして、多くの同窓生に参加してもらい、お酒を購入してもらおうと考えていたのに、本当に残念です。

先日、宮城県知事は、この大震災の復興には10年かかると発表しました。
被害の少なかった内陸部に位置する大崎市でも3年以上の時間は必要。

だから、大崎市の事業主、農家、市民の皆さんと心を一つにして、頑張ります。
若社長や会長の再建への取り組みにも、出来ることはなんでもするつもりです。

そして、原発の収束を祈っています。
連休を過ぎると、風向きが変わり、このままだと、南風に乗って放射能が宮城に来ます。

政府の適切かつ迅速な対応を願っています。ホント

心配してもらい、激励ももらってありがとうございます。



4/28 伊達な旅チームへ 「微笑がえし?」 from 丸田雅博
H野さん そして 伊達な旅チームの皆様 へ

こんばんは。
さっきまで、スーちゃんの追悼番組を見ていました。

一浪して、北九州を離れ大学に入学したのは、昭和53年4月の「キャンディーズさよならコンサート」の頃だったんだと思い出しました。
そして、スーちゃんの最後の肉声。東日本大震災の被災者に向けた優しい言葉に込み上げて来るものがありました。

実は、僕も一歩間違えば死んでいたかも知れません。
3月11日の大震災の日は、大崎市議会が終わったばかりでした。

議場で僕が座る席の真上が今回の震災で崩落していました。
震災後現地調査に市内を回った折、半壊した議場に立ち寄ったら、僕の椅子は見るも無残に落下した天井に押しつぶされてたのです。

議会開会中なら、良くても大怪我は免れない。
しかも、両隣の席は無傷で、僕のところだけ。ぞっとしました。

これだけの危機に直面すると、これまで見えなかったことも見えてきます。
人であればその人の本性、性格、リーダーシップ、組織であればその弱さ・弱点等に気付き、普段威張っている人・組織がな~んだという感じです。

逆に、見直すこともたくさんありました。
自分の息子が沿岸部に勤めていて生死も分からないのに、自分を押し殺し避難した市民のためにベストを尽くしてくれた課長。

普段は大人しい職員なのに、「部長!僕にこれを指示してください。」と直訴してくれる部下。
また、何日も災害対策本部に詰めていたので、これまで知らなかった別の部の職員とも同じ釜の飯を食った仲間になれ、親しくなったり・・・。

よく結婚式のスピーチで、「富める時も貧しき時も健やかなる時も病める時も・・・」と言うフレーズを耳にしますが、苦しい時に、真価が問われるのだなと感心しました。

多くの非日常的経験をさせてもらいました。
いつも他人のことを思いやり、真摯に人生を送っていないと、苦しい時、いざと言う時、化けの皮が剥がれてしまいます。実感です。

ところで、あらためまして、義援金をありがとうございました。
先日、大崎市で義援金の配分委員会が開催され、近々被災者の方々に配分されます。

被害が少なかった内陸部ですが、この大崎市でも、約200戸の人家が全壊し、半壊・一部損壊を加えると7000以上の家が大なり小なりの被害を受けています。
送ってくれた義援金は、そんな市民の役に立ってくれます。

今日が大震災後49日の節目。今朝開かれた災害対策本部会議は、黙祷で始まりました。
東北新幹線も明日全面再開を予定しており、新たなステージに入ることになるし、ステップアップしたいです。

震災前までは、この連休に熊本に住む従兄弟が結婚するので、帰省する予定にしていました。が、職場を離れることはまだ許されません。
残念ですが、ここ大崎で復興業務と骨休みに専念するつもりです。
皆さんには、決して過度な自粛はせずに、東北の物産を購入したり旅行を楽しみ、経済を回してくれることを期待しています。
同級生の暖かいエールにとても感謝しています。

キャンディーズに負けない「微笑がえし」です。ありがとうございます。


6/13 被災地から近況報告です。from 丸田雅博
伊達な旅ツアー 及び 同期の皆様へ

ご無沙汰しております。皆様はいかがお過ごしですか。
当地宮城県大崎市にも何時の間にか初夏が訪れていました。

夜になると、宿舎の周りに住むカエルの声がうるさいくらいで、田舎暮らしを実感しています。
11日で、大震災から3ヶ月が過ぎ、名実ともに新たなステージに入ったと思います。


皆さんには、たくさんの励ましの言葉や義援金を送ってもらいました。
改めて、感謝の気持ちで一杯です。

それに、入院していた義父の容体が安定し退院しましたので、先日妻も大崎に戻って来ました。
大震災以来ずっと離れ離れだったのが、ようやく解消されました(^-^)。

ニュースでご案内のとおりですが、福島原発事故の収拾の目処が立たずに、平穏な日々はまだまだ先のことです。
毎週月曜日には、災害対策本部会議と復興推進会議が開催され、通常業務に専念できる段階ではありません。

でも、沿岸部とは違い、大崎市民の大半は日常を楽しむ余裕が出来たと感じています。

とにかく、一歩一歩前へ進んで行きたい。

職員の中には、長期に渡るハードな業務が原因で体調を壊したり、実は癌だったのに病院にも行かず無理して、死んでしまった職員もいました。
1000年に一度の大震災は、数え切れない涙と嘆きと悲劇を引き起こしています。

だからこそ、その渦中にいる運命に逆らい、簡単には流されないようにしたいと考えているところです。
暖かい便りをたくさんもらった同期の皆様。本当にありがとうございます。

とりあえず、近況報告です。では、また。


11/1 マガンが帰ってきました!(近況報告)from 丸田雅博
皆さんお元気ですか?宮城県大崎市在住の丸田です。

大震災から7ヶ月以上が過ぎました。
収穫の秋を迎えるに当たって、大変心配していました米の放射能汚染も、市内の全調査箇所で不検出。
米の安全宣言をして、先週の日曜日、新米祭りを大々的に開催しました。ひと段落です。

さて、2月にたくさんの同窓生に来てもらった「伊達な旅」で、みんなで観察した「マガン達」が、シベリアから帰ってきました。
3月に北海道を経由してシベリアに渡り、ロシアで繁殖して、今回はその子達を連れてきています。
現在、もう約5万羽が大崎市の蕪栗沼をねぐらとしています。

皆さんは、絵本作家の葉祥明さんをご存知ですか?
僕は当時知りませんでしたが、私達が高校生の頃、日本中でブレイクした「水平線画家」です。
今も環境問題、原発問題、愛、自然保護等をテーマに世界でご活躍の社会派の芸術家です。

この度、葉祥明さんに「マガンの絵本」を作成してもらうことにました。
私と葉祥明さんとの縁は、30代に熊本県天水町役場(現玉名市)に出向していた時、その町の絵を描いてもらい展覧会を企画したことです。
もう17年も前ですが、葉祥明さんから「また、機会があれば一緒に仕事をしましょう。」と言われたことを最近ふと思い出しました。
それで8月に北鎌倉にある葉祥明美術館を訪ねて、マガン、蕪栗沼、農村風景、夕日等を描いて、絵本を作ってもらうお願いをした次第です。

先週27日・28日に、マガンの「ネグラ入り」と「飛び立ち」を一緒に見ました。
私は今シーズン初、葉祥明さんは生まれて初めて。
皆さんと同じように、大変感動していただき、「よく僕のことを思い出して、此処に呼んでくれた。」とお礼を言われました。
どんな素敵な絵本ができるのか。今から楽しみです。
(葉祥明オフィシャルブログhttp://blog.yohshomei-netshop.com/に、取材紀行や作成状況がアップされていますのでご覧下さい。)

職権乱用と言われそうですが、来年の2月に完成したら、「伊達な旅」に参加していただいた方と義援金をいただきた皆さんには、サイン入り(葉祥明さんのサイン)でプレゼントしたいと密かに思っています。お楽しみに!

もう一つご報告があります。今日3年1組出身のA部くんからメールをもらい、びっくりしました。
「勝手に同窓会」(29期の同期会)でM本くんから、私が大崎市に出向していることを聞いたそうです。

A部くんは、大崎市に拠点を持つアルプス電気の関連会社に勤務しており、大崎市の副市長とか観光交流課長と飲んだことがあるそうです。
大崎市は、アルプス電気の城下町と言われているぐらい大変お世話になっており、大崎市出張の際には一献傾けることを約束しました。
M本くんありがとうございます。 では、また。



正月。丸田くんからの年賀状が届きました。
マガンの飛び立ちの写真の下に3月11日以後の支援や激励への感謝とまだまだ遠い復興へ向けての確固たる決意が記されていました。
丸田くんは、昨日も、今日も、そして明日も、大崎市とそこに住む人たちの復興のために持てる力を注ぎ続けることでしょう。
及ばずながら、私たちも丸田くんを応援していくことで何がしかのお役に立てたらよいなと思います。その他のことでも、どんな形でも、昨年の3月11日を忘れることなく、できることで応援して行きたい。
丸田くんからのメールを読むたびに、そう心に刻み続けています。