今月の”知っとぉ”は、今年4月に北九州市にオープンした「北九州市平和のまちミュージアム」のご紹介と、8月の原爆がもし小倉に落とされていたら?戦争の語り部についてお伝えします。



4月19日「北九州市平和のまちミュージアム」が開館しました。

このミュージアムは、2022年4月19日(火)小倉の勝山公園内の中央図書館北側に新築されました。ここは旧日本軍の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」の跡地で、原爆の投下目標、投下予定地「小倉」の目標地でした。戦後77年が経過し戦争の記憶の風化が懸念されています。8月8日の八幡大空襲をはじめ、原爆と北九州のつながり、戦争の悲惨さや平和の大切さ、命の尊さを考えるため、戦時下の市民の暮らしや、戦後復興を果たした”まち”の姿が展示されています。
「小倉陸軍造兵廠」の関連資料や戦争体験者の証言などをご紹介。映像や音響を活用した360度シアター「運命の昭和20年8月8日・9日」、原爆の投下目標とされる小倉陸軍造兵廠の全貌をリアルな立体感で再現するプロジェクションマッピングなどの展示設備が準備されています。
当初、原爆投下都市の候補に絞られた広島、京都、小倉、新潟の中で、京都が強硬な反対意見でリストから削除されたため、長崎が新たに加えられました。1945年8月6日広島へ投下された原爆の第2目標は小倉、1945年8月9日長崎へ投下された原爆の第1目標は小倉という作戦指示書が残っています。もしも、小倉に原爆が投下されていたら、私はこの世に生まれていなかったでしょう。



8月6日と9日の米軍の原爆投下の命令書。
どちらの命令書にも、KOKURA は目標になっていました。

原爆は、小倉上空を約1時間飛行して3度の爆撃体制に・・・

今年の8月で、広島・長崎への原爆投下から77回目の夏を迎えます。1945年8月6日、広島へ人類史上初の原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、多くの尊い命が失われました。この日の第2目標は小倉だったため、広島の天候が悪かった場合は小倉へ投下された可能性がありました。
その3日後の8月9日には、長崎へ原子爆弾「ファットマン」が投下され、多くの方が亡くなっています。この日の第1目標は小倉で、小倉の空がもやと煙と雲で上空からの視界がきかず投下目標を目視できなかったため「ファットマン」を積んだB29は長崎へ向かったのです。
原子爆弾はレーダーを使わず必ず目標の目視が投下の条件だったので、小倉への投下が見送られたのですが、当日の小倉の上空でB29と撮影機を見たという証言もあり、当日、本当に雲が多かったのか?前日の八幡大空襲の煙が西へ流されていたといわれますが、八幡製鉄所で焚かれたコールタールの煙幕が大量に空を覆っていた説もあり、定かな所はわかりません。
米軍のB29ボックス・カーに乗務していた、ウォルター・カリグ米海軍予備大佐の記録は以下です。
「どういうわけか、煙でよく見えなかった。高射砲は射ってこない。で、もう一度やり直した。が、こんども煙が目標を覆っている。しっかり見ろ、と爆撃手にスウィニー少佐(操縦員)がいうが、駄目だ。
そこで、爆撃指揮官のフレデリック・アシュワース海軍中佐に相談。もう一度小倉の上空を飛んでみたが、それでも駄目なのである。もう、これで目標の上空を五十分も飛んでいたので、ガソリンが残り少なくなってきた。」
B29ボックス・カーは燃料がなくなってきて、小倉から長崎へ直線的に向かい、原爆を長崎に投下、その後沖縄の読谷飛行場へ着陸します。



「ファットマン」はプルトニウム型原爆で威力は広島の6倍

広島に投下された世界最初の原子爆弾:通称「リトルボーイ」は、ウラニウム爆弾でした。
3日後の8月9日、原子爆弾:通称「ファットマン」が搭載されたB29「ボックス・カー」は、チャールズ・スウィニー少佐の操縦で午前2時30分にマリアナ諸島のテニアン島の飛行場から離陸しました。


原子爆弾「ファットマン」は(ふとっちょ)と名づけられたプルトニウム爆弾でした。3日前に広島に投下されたウラニウム爆弾とは異なる種類の爆弾で、六割ほど威力が大きいものでしたので、もし小倉に投下されていたら山裾に都市部が密集している北九州では広島より大きな被害出たと想定され、小倉、戸畑、門司、八幡の東側は壊滅だったと想像できます。



ミュージアムの「広がる戦争と空襲」のゾーンでは、小倉に原子爆弾が落ちた場合の被害想定図などが紹介されています。もしも小倉に落ちていたら?現在のいろんなことは全く変わっていたことでしょう。



8月9日11時2分長崎への原爆投下

B29「ボックス・カー」は午前10時50分に長崎上空に達しました。長崎もまた、小倉と同じように雲に覆われていたようです。しかし、「わずかな雲の切れ間から地上が見える。雲の切れ目を適してかろうじて目視できる程度」の視界だったと、報告書に記されている悪条件の中で、8月9日11時2分、長崎市松山町の上空でプルトニウム爆弾「ファットマン」は投下されました。
「ファットマン」は地上からおよそ五百メートル上空で炸裂しました。激しい閃光が起こり、さらに強烈な爆風と熱が襲い、そして轟音が長崎市内はもとより、近隣の市町村や熊本県下にまで響きわたったといわれます。


長崎へ雲間から投下されたプルトニウム爆弾
その時の米軍が撮影した動画映像が記録されています。
原爆に関する資料映像(NHK)
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/genbaku-video/

長崎へ投下された原爆は目標よりかなり山間に投下されました。原子爆弾を積んだまま沖縄の基地に着陸する危険、途中の海に投下することも難しかったでしょう。小倉では3回も正確に目標に向かったのに比べ、燃料もぎりぎり、是が非でも長崎に投下して帰還するという事だったのでしょう。その後8月15日ごろに予定されていた第3回目の原爆投下は見送られることになりました。もう数日終戦の日が遅かったら小倉に3発目の原爆が投下されていたことでしょう。
私たちがこうやって今生きて暮らしていることは、偶然によるものとも言えます。
今起こっているウクライナ戦争でも、また、近隣国の状況においても核兵器の使用について脅威が増しています。被爆の実相と、核兵器廃絶を願う私たちの思いを伝える契機にしたいところです。





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