熱戦が繰り広げられパラリンピックへと舞台が引き継がれた「東京オリンピック2020」。新たなモットー”Faster, Higher, Stronger – Together(より速く、より高く、より強く+共に)”にふさわしい、技術と友情、勇気、スポーツマンシップ、大きな感動を与えてくれた大会でした。
今月の「知っとぉ?」は、五輪野球「侍JAPAN」の37年ぶりの金メダルに焦点を当て、松永怜一先輩や八高のユニフォームを思い浮かべながら、感動もひとしおだった事をご紹介したいと思います。

オリンピック37年ぶりの金メダル

東京2020オリンピック、大会16日目の8月7日、野球日本チーム・侍JAPANがアメリカに2-0で勝って、オリンピック正式競技としては初めての金メダルを獲得しました。
オリンピックの金メダルは、公開競技として行われた1984年のロス五輪まで遡ります。まだプロ参加が認められていない37年前、松永怜一監督の下、広沢選手(のちヤクルト)が4打点、決勝でアメリカを破り獲得した金メダル以来です。東京オリンピックの喜びの映像の中に、日本代表強化本部長の山中正竹氏が稲葉監督や甲斐選手と握手をする姿がありました。山中さんは法政大学から住友金属へ、稲葉さんは山中さんが法政大監督時代の教え子。とくれば、法政大つながり、住友金属つながりで松永怜一さんを思い浮かべるとともに、解説で涙していた和田さんもロス五輪のメンバーでしたね。37年ぶりの金メダルに一味添えた感慨深さがありました。


八高野球部のユニフォームは「JAPAN」由来

筆者がJAPANの縦縞ユニフォームを見ていて、いつも思い出すのは八高野球部のユニフォームです(阪神タイガースやファイターズではありません)。八高野球部のユニフォームは日本代表が2005年まで使用していたユニフォームにそっくりなのです。これは当時IOC強化本部長をやられていた松永先輩の影響によるものです。


かつては八幡製鉄と揃えて英文表記は「YAWATA」と表記されていたが、今は「YAHATA」と表記


モデルとなった侍JAPANユニフォーム、日の丸はないけど赤文字の配置がそっくり


東京オリンピックのユニフォームは、背番号が小さかった?


(photo by A P)

日本代表のユニフォームは、縦縞の紺、白、赤のカラーは引き続いていますが、デザインは年々変わっています。今回の東京オリンピックのユニフォームは背番号が小さくなっていました。実はこれ、オリンピックの規定で背番号のサイズと大きさが決められていて、それを忠実に守ったものだそうです。規定に従って小さいのは日本だけ?ドミニカや韓国、メキシコなどは普通サイズだったようです。


歴代ユニフォームのムック本も販売されている


いつかは甲子園へ!そしてJAPANへ!

今年は2年ぶりに夏の甲子園が行われました。出場校の学校関係者に限っての入場応援が可能となり、ブラスバンドは楽器演奏者も人数制限。我らが八幡高校は、今年は残念ながら県大会で2回戦敗退でしたが、春の福岡大会は準々決勝で東福岡高校に敗れ、北九州大会は準決勝とかなり惜しい所まで来ています。松永先輩たちに続いて、いつかは晴れの甲子園で八高球児を応援したいです!
残念ながら野球は2024パリ大会では競技種目から外れてしまいましたが、野球の盛んな米国&豪州での2028ロサンゼルス大会、2032ブリスベン大会で復活を期待します。




【編集後記】
筆者が総会当番期だった9年前、総会のゲストに松永怜一先輩と故森下整鎮(正夫)先輩をお招きして、60年ぶりのお二人の再会で当時のお話を伺うことができました。甲子園の激闘、雨中の小倉高校との試合の名場面がまるでライブのように語られた事を思い出しました。機会があれば、また、松永先輩からオリンピックのお話も伺ってみたいですね。





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