藤原剛さん(高5期)


Profile藤原剛さん

1953年 八幡高校卒業(高5期)
1957年 中央大学経済学部卒業
芝浦共同工業株式会社(現 株式会社IHI)入社
1995年 定年退職
1996年 詩吟、社交ダンス、ピアノ、登山など趣味をスタート
2017年 2019年までの3年間、関東誠鏡会イベント「皇居ラン」に参加。5km以上走破

八高卒業後は中央大学経済学部に進学。大学卒業後は芝浦共同工業株式会社に入社。経理、営業を経験し、1995年に定年退職。退職後は、自治体の地域センターを拠点に様々な趣味をスタートさせ、現在もほとんど継続。誠鏡会への参加も積極的で、2017~2019年に行われた「春の皇居を走ろう」通称皇居ランには3年連続で参加し、すべて1周5km以上走破。コロナ禍以降も怠ることなく、様々な活動を続けている。枝光中学出身。

2023年2月某日、横浜市某所にて、米寿を迎えても様々な趣味を嗜み、イキイキとした毎日を送る藤原剛さんに、大人になってもできる「好きなこと探し」、人生の楽しみ方についてお話を伺いました。


物怖じしない性格と人との縁が豊かにした第1の人生

まずはこれまでの人生について教えてください。

小さいころから、運動は好きでした。お小遣い稼ぎに中学1年生から始めたアルバイトも新聞配達、配達地域は坂が多かったこともあり、走って配達していました。結局、新聞配達は高校2年生まで続け、そこで足腰はかなり鍛えられました。その頃行われた市内の中学校対抗の駅伝大会では、選手として出場し優勝した事もあります。思えばそれが走ることへの自信につながっているのかもしれません。高校卒業後は、中央大学経済学部に進学しました。下宿先は従兄弟が住んでいた鶴見の某企業の社宅でした。そこで、のちの人生にも影響を与える偶然の再会があります。枝光の実家も鶴見同様、社宅だったのですが、小学生の頃、社宅仲間でよく遊んでいた一級上の幼なじみN君がなんと、同じ社宅の違う棟に住んでいたのです。彼は親の転勤で数年前に鶴見に引っ越していたので、5、6年ぶりでしょうか。朝、顔を洗っていたらお互いの窓越しに目が合って・・・。まるで映画のような再会でしたが、それだけに感動もひとしお。N君も当時明治大学の大学生で、あっという間に5年のブランクはなくなり昔のようなつきあいが始まりました。おかげさまで東京でも友人に恵まれ楽しい大学時代を過ごさせてもらいました。


社会人としての人生は順調でしたか?

いやー当時就職は厳しくてね。僕は卒業までに就職が決まらず、一旦八幡に帰ってたんです。しかし、帰省してすぐにN君から連絡がきて、「藤原君。良い就職先があるよ」って。なんでも、彼の妹さんの友達のお父さんの知り合いの会社の経理部に空きが出て大卒の人をを探しているとのこと。すぐに上京して面接試験を受 け、(株)IHI(当時は芝浦共同工業)に就職しました。1957年(昭和32年)のことです。経理部に所属しますが、8年ほど経った頃、また危機がやってきます。入社当時はそろばんを使って仕事をしていたのですが、徐々に機械化がすすみ、経理部は人員削減の流れになったのです。もう結婚もしていましたから会社を辞めるわけに もいかない。上司である経理部長に直談判し、営業部に異動が叶いました。製品の知識など最初は苦労しましたが、人と話すことは好きだったので向いていたのでしょうね。定年まで約30年ずっと営業畑で過ごしました。激動の時代でしたが、仕事にも人にも恵まれ充実した会社員生活だったと思っています。
定年後、退職金もあるし、年金もすぐにもらえるようになるからと再雇用制度は利用しませんでした。たっぷり時間ができたので、地区センターに通うとそこで様々な出会いがあり、友達も趣味がだんだん増えて忙しくなって。趣味がメインとなる第2の人生がスタートしました。1996年の頃です。



好奇心と縁に逆らわない第2の人生を満喫

例えばどんな趣味を始められたのですか?

最初にはじめたのは詩吟教室でした。そこで社交ダンスをやっている人に誘われ、次は社交ダンスの教室にも通うことに。社交ダンスの教室に日本舞踊の名取の方がいらっしゃって、日本舞踊も始めることになりました。さらに、札幌支社時代のお取引先で呑み仲間でもあった商社の方のご縁で山登りサークルに参加し、毎月の山登りも趣味の一つになりました。 そして、関東誠鏡会です。かつての同級生たちも時間に余裕ができて会う機会も増えました。総会を通して同級生以外の方とも親しくなり、皇居ランにもお誘いいただき、参加することにしました。


走ることは趣味の一つではなかったのですか?

走ることは好きでしたが、特にランニングの習慣はありませんでした。ただ、普段からダンスや山登りで足腰は鍛えているし、昔取った杵柄ということもあるので、「なんとかなるだろう」と参加しました。走ってみると、皇居1周5キロはキツイどころか楽しいくらいで。結局第2回目にも参加して、走ることも趣味の一つになったのかな?こんな感じで定年後20年たっても人と交わり充実した生活を送ることができたのはありがたかったですね。
ところが、突然コロナ禍がやってきた。それまでの生活は一変し、いろいろとままならぬ日々が続くようになったのです。


コロナ禍でも楽しめる趣味を発見。新しい目標もできた

人と会えない、外にも出られないコロナ禍。藤原さんはどのように気分を上げられたのですか?

特に人との接触が近い社交ダンスや、声を出す詩吟は集まっての練習はできません。山登りサークルも仲間たちが年を取り、頻度もすっかり少なくなっていたところにコロナ禍が来てしまい、散会になってしまうなど、はじめのころは、寂しくて気分はふさぎがちになりました。とはいえ、じっとはしていられない性分なので、一人でも楽しめる事はないかと考え、以前から少しかじっていたピアノをまたやってみようかと。ちょうど同じようなタイミングで最寄り駅に期間限定でストリートピアノが置かれて、私と同じ年頃の男性がベートーヴェンの「月光」という曲にチャレンジしたんです。決して上手ではなかったのですが、思わず「おいくつですか?どのくらい弾いてらっしゃるんですか?」と話かけました。一通り話をしたあと、私も「月光」を弾いてみたいと思ったと同時に、「また挑戦します」とおっしゃる姿勢に刺激を受けました。さらに、NHKテレビである俳優さんが山のカフェでピアノを学ぶと言う企画があって、その時に弾かれていたのは偶然にもドビュッシーの「月の光」。かっこいいなとすっかり魅せられまして、月の光にまつわる2曲をマスターしたいと近所のピアノ教室に通い始めました。元々娘が弾いていていたピアノが家にありましたから、定年後に始めていましたが他の趣味に忙しくサボリがちで。しかし、今回はかなり真面目に取り組み、毎日1時間は練習しています。今の目標は、駅や街角に置いているストリートピアノをかっこよく弾いてみること。昔に比べ上達する速度はゆっくりですが、気長に頑張っていこうと思っています。


最後に。藤原さんにとって誠鏡会とは?

会えば自然に八幡弁になる、懐かしい場所。この機会はとても有意義だと思っています。この3年間皆と会えなくなって寂しいですが、そろそろコロナも落ち着いてきました。また、総会で友好を深めたいです。


素敵なお話を本当にありがとうございました。


【編集後記】

  • 取材をお願いしたとき、「健康なぐらいでたいして話すことはありませんよ」と謙遜なさっていた藤原さんですが、取材の時は積極的にいろいろお話いただきました。しかし、趣味の多さにびっくり。
  • 活動の写真を頂きたかったのですが、いただいた写真の保存が上手くいかなかっ たとのことで写真はありません。残念。
  • 興味を持ったことには躊躇せずチャレンジするフットワークの軽さ。幾つになっても何かを始めるのに遅いということはないということを、目の当たりに。 見習いたいです。

 

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