本戸義信さん(高35期)


本戸さんが出演した劇団イヴァノヴィッチ第6回公演「PLUTO~プルート」のシチュエーション写真。
前列右から二番目が本戸さん

Profile本戸義信さん

1983年 八幡高校卒業(高35期)
1988年 日本大学商学部卒業
株式会社三菱銀行(現 株式会社三菱 UFJ 銀行)入行
2022年 芸能事務所に所属。TVドラマなどに出演
2025年 初舞台を踏む


2026年1月某日、東京某所にて本戸義信さんを取材しました。大学卒業後は銀行に就職し、仕事一筋できた本戸さんですが、55歳で子会社に出向し、時間にゆとりができたことで芸能事務所に所属。TVドラマのエキストラを経験したのち、2025年メインキャストとして初舞台を踏みました。そんな本戸さんにお芝居の魅力、還暦を過ぎた人生二周目の楽しみ方について伺いました。上津役中学出身。

60歳を過ぎてお芝居に関わったきっかけ

まずは、これまで歩んで来た人生について教えてください

高校時代は決して目立つほうではありませんでしたが、体育祭で集団の副団長や対抗リレーのアンカーを任されたりとなぜか面倒な役目のお鉢は回ってくるタイプでした。部活はテニス部で大きな結果は残せませんでしたが、インターハイを目指しかなり頑張っていたと思います。勉強はというと・・・、3年で無事に卒業出来たのは先生方の温情のお陰というくらいの成績で受験は現役では全滅、一浪後日本大学商学部に入学しました。その反動からか、大学では2年から卒業まで特待生で通すほど真面目に勉強に励み、卒業後は三菱銀行に就職しました。社会人になってからは仕事一色で毎日残業は当たり前、休日も仕事のことが頭から離れることはない生活を30年余り送っていました。55歳で子会社に出向転籍して時間的にも精神的にも余裕ができ、ようやく自由に自分の時間を使えるようになりました。ところが、何かが足りない。「仕事以外に何か打ち込むことが必要なのでは?」と考えるようになり、その「何か」を探し始めました。


最近は穏やかな日々。お孫さんのお誕生日での 2 ショット。「孫の成長を見るのは もちろん楽しいですが 自分自身の残りの人生にもワクワク期待しながら生きていたい(本人談)」

芸能活動に関わるきっかけになったのは?

まず、チャレンジしたのが「NHKのど自慢」です。たまたま地元での開催があり応募したところ、書類審査を通過したのです。「年間グランドチャンピオンになって歌手デビュー」なんてことを目論み(笑)、予選ではカラオケの十八番「宙船(そらふね)」を熱唱しましたが、残念ながら本選出場にはなりませんでした。その後、ネットでシニアタレントを募集している芸能事務所を見つけ、「芸能人として売れればのど自慢にゲストとして出演できるかも! 後悔するくらいなら挑戦してみよう」とオーディションに挑戦し、合格。入所後は毎週、演技、歌唱、声優のレッスンを受けつつ、たまにテレビドラマにエキストラとして出演していました。しかし、テレビドラマの撮影は丸1日拘束されても画面に映るのはほんの2、3秒で手元に残るギャラは数千円です。期待した充実感を感じられずにモヤモヤしていた時に、今回の舞台の出演者募集の案内が事務所にきたことから、オーディションを受け舞台出演が決まりました。


初舞台について

舞台を経験してどんなことを感じましたか?


「PLUTO~プルート」のワンシーン


オーディションの時点から、同じ事務所の舞台経験者の演技のレベルの高さにも驚きました。あっという間にセリフを覚え、大げさに見える動きも自然にできている。私もテレビの出演経験があるとはいえ舞台は別物で声が全く通らず、「その声では一番後ろのお客さんまで届かない」と指摘を受け、違いを痛感させられました。演技のレッスンは受けていましたが、映像を前提としたもので声が通るかどうかを厳しくチェックされることはなかったし、「勘が良い」と褒められることもあったので、若干凹みました。その後の稽古でも「熱量が足りない」「伝わらない無駄な動きが多い」などと厳しいご指導を頂きましたが、座組の皆さんにご迷惑をかけてはならないと、4ヶ月間(後半の2ヶ月は毎週土日に1日7、8時間)必死の思いで稽古に取り組み、何とか無事に公演を終えることができました。お客様にチケットを買って頂きプロとして演技をするプレッシャーは相当なもので、終わった後は、達成感より「ホッとした」のが正直な気持ちでした。


稽古風景

舞台経験を通して、本戸さんご自身は何か変化がありましたか?

いろいろなことに躊躇しなくなったことが、一番大きな変化ですね。舞台上ではすべての演技が一発勝負で、手探りをしながら始めて、温まってきたら本気出す!では務まりません。最初から「これが最後」と全力で挑むまなければならない。その時の自分の最高のものを見せなければならないのです。舞台に関わってからは日常生活でも、「今しかない」状況が続きました。オーディションに合格すると土日は稽古に時間を取られます。平日はサラリーマンとして仕事をしていますので「落ち着いてからまとめてやる」が出来ません。やるべきことは、すぐに手を着けるようになりました。以前に比べれば「今日やろう、今やろう、迷わずやろう」という姿勢が定着していった気がしています。

これからの生き方について教えてください

どのように年を重ねて生きたいですか?

還暦を過ぎ人生も2周目。1周目はとにかく手堅い人生を歩んできましたが、これからは「成果が出るかわからない」不確かなものに真剣に取り組むのも悪くないなと思うようになりました。経済的な豊かさだけを考えれば、セリフを覚える暇があるなら資格を取る為の勉強をする方が良いのかもしれませんが、自分に強いるよりも無理せず好きなことをやる時間を増やしたい。芸能活動は引き続き、今後もお芝居や映画に挑戦したいです。年相応の配役に恵まれれば一生続けることができるかもしれない、そんな期待もあります。将来を考えるにあたって、87歳になる母の存在を外すことはできません。母は軽度の認知症を患っており、日常生活には大きな問題はないものの 5分前のことを思い出せません。1年前に亡くなった父のことを「どこに出かけているのか」と家族に聞いてくることもあります。認知症予防には少しの刺激が効果的だそうです。自分にとって芝居はきっと認知症の予防に良い効果をもたらすのだろうなと思います。母にも早い時期から人と関わり合うような趣味があれば、違う晩年を過ごしていたのでは?どうだっただろうと考えたりもします。
誰もが後悔なく、心豊かに年を重ねていければいいなぁというのが私の気持ちです。

楽しいお話を本当にありがとうございました


【編集後記】

  • 本戸さんの初舞台にはご家族、八高同期などたくさんの方が観に来てくれました。
    主人公のパートナー(初老期)がメインの役でしたが最終幕の手前で女性の亡霊役を演じた為カーテンコールではこの姿に!

  • ※左はご家族、右の写真は 35 期の皆さんと
  • 「NHK のど自慢」では予選の歌唱の後には司会のアナウンサー(当時は小田切千氏)との面談があり、歌だけではなくテレビ受けする「紹介出来るメッセージ(人生ドラマ)」が必要なのだとか。本戸さんは応募はがきには職場の同僚を元気づける思いを綴ったのですが、予選の時には娘さんの結婚にもエールを送りたいと伝えたところ、小田切千氏がガッカリしたのがはっきりとわかったそうです。今後チャレンジしたい方は、「歌よりもテレビ受けするメッセージ(他者と被らない)を用意することが重要です」とのことでした。
  • 取材場所は、新橋のカラオケボックス。もちろん取材終了後は、本戸さんは十八番の「宙船」を熱唱してくださいました。35期の山上さん、田中の3人でカラオケボックスで4時間、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

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