都筑(つづく)友美さん(高16期)


Profile都筑友美さん

1964年3月 八幡高校卒業(高16期)
1964年 株式会社安川電機 就職
1968年 結婚
1975年 東京転勤に伴い転居
1981年 アメリカ転勤に伴いシカゴに転居 ※この後11回の海外国内の転居が続きます。
1998年 東京に帰国
1999年 現在お住いの川崎に転居

2022年2月号「同窓生・この人」にご登場の高16期木村さんから「狛犬が大好きな面白い方がいるのよ~」というご紹介です。
狛犬のお話を伺うつもりが、歴史や民俗学など都筑さんの興味は幅広く興味深いものでした。 そして、お話だけではもったいない!ので、「狛犬探訪」に同行し取材者までもが狛犬にハマってしまう結果になりました。



2022年3月某日 狛犬や古代史にまつわるお話や、ご自身のお話を聞きました。
2022年5月某日 「狛犬探訪 浅草コース」を計画。都筑さんに同行してお話を伺いました。
【参考図書】
 藤倉郁子 「狛犬」「狛犬の歴史」
 三遊亭円丈 「THE 狛犬!コレクション」


狛犬について興味を持ったキッカケを教えてください。

1994年ドイツのフランクフルトに居住していました。朝日新聞の図書案内に、ねづてつや著「狛犬学事始」を知り、日本から取り寄せました。その時点では、民俗学的興味からでしたが、発行日が私の誕生日と同じ。その年は戌年でしたが、「私も戌年!」という、ちょっと嬉しい気分でしたね。
翌年(1995年)、一時帰国し新宿の紀伊国屋書店にて、藤倉郁子さんの著書「狛犬」を見つけました。立派な布表紙の重厚な本で、4000円もするので迷いましたが、これまた発行日が私の誕生日と一致。戌年、誕生日、狛犬、がリンクして、これも何かのご縁かと勝手に思い込み、購入しドイツに持ち帰りました。
その翌年(1996年)の一時帰国の時です。藤倉さんにお電話してお会いすることができ、彼女とは、初めてお会いした時から狛犬だけでなく古代史のことなど、多くを語り合いました。1998年の帰国後から、狛犬や古墳探訪、展覧会などなど藤倉さんとご一緒するようになりました。また、それぞれが旅先や展覧会等で得た情報や写真やパンフレットの交換をさせていただきました。ひと回りも年が違う大先輩ですが、有難いことでした。
2000年に「狛犬の歴史」が出版された際には、私のお知らせした、久留米の水天宮の「肥前狛犬」や中国の西安にある「明の十三陵」の参道に並ぶ狛犬のルーツかもしれない石像群の写真が掲載されたのも嬉しいことでした。



狛犬について、教えてください。

狛犬のルーツは、8世紀ごろ奈良時代の仏教伝来とともに獅子の意匠が伝わってきたものです。それと同時に、伎楽(※1)も伝わり唐風と高麗風の獅子舞も伝わってきます。10世紀の平安時代、天皇御座所の御帳台の前に、辟邪(※2)と風鎮(※3)のため木造の獅子と狛犬が一対で置かれるようになります。
向かって右に獅子。体は黄色(黄金)たてがみは緑色、口は開く(阿形)。
向かって左に狛犬。体は白色(銀色)たてがみは紺色、角を持ち口は閉じる(吽形)。

※1伎楽(ぎがく)・・・古代インド・チベット地方に起こり、推古天皇の時、百済から伝わった音楽つきの無言仮面劇。寺院の儀式や大仏の開眼供養で舞われた。
※2辟邪(へきじゃ)・・聖獣。邪悪を避けるため。
※3風鎮(ふうちん)・・御帳台の帳の帷(かたびら・垂らされた布)が風に吹かれるのを防ぐための鎮子。

  平安時代の11世紀(1039年)、後朱雀天皇が伊勢神宮に金と銀の木彫りの狛犬を一対奉納しました。11~14世紀にかけて、初めは権力者の氏神から次第に庶民や地方の神社でも狛犬が社殿の中や縁先に置かれるようになります。この時代までの狛犬は木像であり仏師の手により作られているので、優秀なものが多いです。
12世紀(1196年)、運慶・快慶の金剛力士像で有名な東大寺南大門の中(裏面)に日本で一番古い石造狛犬があります。作者は宋人で二体とも阿形で角はありません。同じ系統の狛犬は福岡の宗像大社や観世音寺にあり、いずれも鎌倉時代です。
17世紀 江戸時代 関東で一番古い石造狛犬は寛永13年(1636年)日光東照宮の家康の墓の前に二人の大名が神君(東照大権現という神になった家康)の墓を守るために設置したものです。その後、武士たちが真似をして神社の参道に奉納し、それを見た町人たちが真似をして、狛犬ブームとなっていきました。一般の人々はご利益の大きい神社や身近に建てられた鎮守の森に石の狛犬を奉納。石工の活躍も18世紀にはめざましいものとなり、今日、私たちが神社の境内で見る石造狛犬はほとんど18世紀以降のものと思われます。当時の石工さんたちは獅子(ライオン)を見たことがないので、唐獅子(中国風)の絵などを参考にしながら自分流で彫ったのでしょうね、バラエティ豊かでそれがまた面白いです。
明治~昭和時代 神仏分離令が出され国家神道の考え方が広められます。昭和の軍国主義の影響もあり護国神社が増え戦威高揚のためか参道には勇壮で立派な狛犬が造られました。「招魂社系狛犬」と呼びます。昭和に入ると、整った顔で凛々しくはありますが対の像はどちらも獅子型で個性がなく地域性のないワンパターンの狛犬が多数つくられました。
これらの像を私は「昭和の狛ちゃん」と呼んでいます。



▲参考写真・・・岐阜 下呂温泉合掌村「狛犬博物館」にて 

狛犬を見るポイントやお勧めがあれば、お教えてください。

私の場合は、狛ちゃんに「こんにちは。ごきげんよう。」とあいさつしてお顔拝見。次に台座の後ろや側面をみます。苔や汚れで見にくいですが光を利用して様々な角度から見て読み取ります。奉納した人や建立年、石工の名前が彫ってあるので、時代や人気の石工さんもわかります。時代によって、顔や形も異なる特徴がありますが、私の好きなのは、江戸前期の狛犬です。一見ヘンテコで不細工ですが可愛いですよ。

東京近郊でお勧めの狛ちゃんをいくつか紹介します。
●目黒不動尊(滝泉寺) 
 1654年 反歯で鼻が開いています。平伏形
 1862年 山犬形(三峰神社や御嶽神社など修験道系の寺・社に有り、オオカミ=狼=大神の信仰に寄る
●六郷神社
 1685年(貞享2年)反歯で鼻が開いており、角があります。
●赤坂 氷川神社
 1675年(延宝3年)ガマ蛙のような顔。他に明治・大正・昭和の狛犬がいます。
●鶴岡八幡神社
 1668年(寛文8年)参道階段下。大きな体ギョロ目で上向きの鼻がユニーク。
●府中 大国魂神社
 鎌倉時代 木彫りの狛犬。境内各所に違った形の狛犬が5対ほどいます。



狛犬探訪 ~浅草編~


浅草寺浅草神社→(二天門)→(言問橋)→牛島神社→(見番通り)→三囲神社 (顕名霊社)
すみだリバーウォークや東京ミズマチでの散策やショッピングも楽しめます。

【浅草寺】
雷門の正式名称は、風雷神門(ふうらいじんもん)。現在の門は松下幸之助の寄進で再建されたものです。雷門と書かれた大きな提灯をくぐったら、ちょっと振り返ってみてください。提灯の逆側には風雷神門とかかれています。そして、門の裏側には一対の龍神像が祀られています。右側に「金龍」(男神)、左側に「天龍」(女神)が置かれています。作者は人間国宝の平櫛田中です。素晴らしい像だと思います。
龍神は水を司る神です。火災の時、水を吐いて鎮めてくれるのを願って神社の彫刻によく使われています。因みに、寺の本堂の天井画が龍なのも同じ理由からです。
❖恵日須・大黒堂・・・ 延宝年間 江戸初期の小さな狛ちゃん
❖弁天堂・・・享保13年 江戸中期 1体のみ

【浅草神社】
夫婦狛犬と名付けられた狛犬がいます。初めて見つけたときは(だいぶ前ですが)境内の隅の草むらに埋もれて忘れられたように置かれていた古い狛ちゃんでしたが、10年位前から整備され、赤い傘と賽銭箱とともに置かれてご利益狛犬にされてしまいました。パンフレットにも掲載されて人気があるようですが、夫婦円満を願って行列ができています。
狛犬の頭頂部には穴が開いていますが、これは元々角や宝珠があった名残です。古い狛犬は風雨にさらされ破損することがよくあります。その穴に水が溜まっているのを見て「河童狛犬」と銘板が立っていることもありますよ。
❖江戸後期の狛犬・・・ 顔は平たく、たて髪は長い、子供あり、岩山に乗る犬型狛犬
❖招魂社系狛犬 一対
❖夫婦(めおと)狛犬・・・ 江戸初期


▲夫婦狛犬 



【牛島神社】
隅田川を超えて久しぶりに牛島神社を訪ねます。
ここの鳥居は奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)と同じ形三輪鳥居(みのわとりい)といってとても珍しい形です。大きな鳥居の両脇に小さな鳥居がついていますよ。
そして、ここには狛犬ならぬ狛牛が座っています。その後ろにはちゃんと獅子の狛ちゃんもいますよ。
名物の「撫牛」も見ていきましょう。自分の体の悪い部分と牛の体の同じところを撫でると、病気やケガが治るといわれています。
❖享保14年(1729年)江戸中期・・・阿形・宝珠。吽形に角あり
❖文化8年(1811年)江戸後期
❖撫牛・・・ 文政8年(1825年)


▲牛島神社 台座の文字を読む(阿形・宝玉)



▲三囲神社 台座の文字を読む



【三囲神社】
少し歩くと三囲(みめぐり)神社です。祭神が穀物神の宇迦御魂之命で稲荷神社だからでしょう、狛犬が狐の姿をしています。豪商三井家が守り神として崇め、現在にわたり守られています。三柱石鳥居は三井邸より移築されました。とても珍しい形です。
境内には三越池袋店のライオン像があります。2009年の閉店の際に奉納されました。顕名霊社には茶色の狛ちゃんがいました。柵で囲まれていましたが、お顔も色もこれまでの狛ちゃんとは少し違います。これは、川端玉章の下絵により彫られたもので、なかなかユニークです。その奥にもだいぶ古い狛ちゃんの姿が見えます。20年ほど前は、狛犬に近づけないときでも、必死で柵の隙間や塀の上に手を伸ばして写真を撮ったりしました。


▲顕名霊社 正面(柵外)



▲顕名霊社 横


❖延宝7年(1679年)江戸初期の狛犬
❖狐の狛犬 御祭神が穀物神の宇迦御魂之命(うかみのたまのみこと)系なので。
❖顕名(あきな)霊社  三井家先祖をまつる 明治7年建
❖三柱石鳥居と井戸
❖三越のライオン像


最後にひとこと

今回お話させていただいた狛犬のお話は、私の好きな歴史のほんの一部ですが、皆さんに興味を持っていただければ嬉しいです。友人からは、いままで気にしていなかったけど、神社に行くと狛犬を見るようになったのよ。と言われたりします。
久しぶりの狛犬探訪では、新しい発見と狛ちゃんとの出会いがあり楽しい一日でした。
狛犬は、名物石工さんの造形、狛犬の素材(木、石、陶器)地域別の特徴、オリエント発の狛犬のルーツ等々、奥深いです。実は古代史が好きで古事記や日本書紀に出てくる神々が神社の御祭神ということもあり、狛犬目的というよりも、神社そのものの成り立ちや建築様式などに関心があり、中学生のころから訪ねていました。
最近はご利益を求め、パワースポットや御朱印巡りなど、デートスポットとしても訪れる人が多いようです。有名神社はそれで潤うでしょうが、昔から地域の氏神様として守られていた小さな古社は存続の危機に直面しています。そんな神様にもお賽銭を上げてくださるとうれしいです。
散策によい季節になったら、またプラプラと歩いてみようと思っています。



【編集後記】

普段から、神社を参拝し御朱印をいただくことはありましたが、狛犬にそれほど注目したことはなく、どれも同じようなものだと思っていました。都筑さんのお話をきいて、狛犬が造られた時代や文化を知ると一層かわいく見えてくるから不思議です。
今回都筑さんとご一緒した狛犬探訪は、狛ちゃんを訪ねて歩く冒険と、出会った狛ちゃんの年代や石工を探る暗号を読むようなワクワクが詰まった楽しい体験でした。

 

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