八幡高校ご出身のみなさんは「皿倉山」と「帆柱山」の違いはご承知ですよね?

八幡で生まれ育った人は、皿倉山と帆柱山の違いはだれもが判る!といわれますが、年配の方と話していると、どうも皿倉山のことを帆柱山と言っている様な気がする?そんなことはないでしょうか?

皿倉山は神功皇后の伝説が多く残る山としても知られ、その由来は歴史が深く、日本書紀に記された神功皇后の言葉に由来すると伝えられています。この山に登った神功皇后が、下山するときには日が暮れていて「更に暮れたり」と言ったことから、この一帯が更暮山または更暗山と呼ばれ、それが更倉山、皿倉山に転じたという言い伝えがあります。

さて、帆柱山と皿倉山は違う山なのか?

昔、うちの親父もおじいさんも、皿倉山のことを帆柱山と呼んでいた気がします。八高の校歌の歌詞でも最高峰の”皿倉の峰”でなく”帆柱の峰”です。皿倉山にかかるケーブルカーは、ずっと「帆柱ケーブル」と呼ばれていましたし(2015年にようやく皿倉山ケーブルカーと改名)、帆柱山と皿倉山って本当は違う山なのでしょうか?

『北九州市まちかど探検』というHPによれば、『皿倉山にあるケーブルカーを何故「帆柱ケーブル」と呼ぶのか』という問いに「大正6年、八幡市となった地元自治体は、皿倉山を帆柱山と取違え、各種印刷物に記載されていた。このため、戦後、八幡市議会で不思議に感じた議員からの質問に対し、執行部は「皿倉が本当だ。しかし、帆柱・権現・花尾と四山を総称して「帆柱連山]と言う。だから帆柱というのが表面に出てくる」と、もっともらしい答弁があったそうです。
これ以降、間違いを正すことなく、公園整備に当っても「帆柱」の名前が使われたため、帆柱ケーブルと呼ばれてきた、という事が記されています。

この市議会の記録が残っているのなら(事実なら)、大正6年の単なる間違い?が原因?かもしれません。

旧八幡市歌の三番です。
 高き理想を 帆柱山に
 深き希望を 洞海湾に
 愛市の真心 神こそ知るらめ
 八幡 八幡 吾等の八幡市
 市の隆昌は 吾等の歓喜

どこの校歌も、市歌も、帆柱町、帆柱公園、帆柱ケーブルといわれるのも、すべては間違いから「帆柱」で統一されたのでしょうかね?

皿倉山・権現山・帆柱山・花尾山。八幡に並ぶ峰々は帆柱連山と呼ばれますが、統廃合で生まれた新しい学校の校歌は皿倉山を呼ぶようになっているそうです。今では事実は事実として、皿倉山のことを帆柱山とは呼ばなくなってきているのでしょうね。
ちなみに、皿倉山の標高は622mで山頂は八幡東区に、帆柱山の標高は488mで山頂は八幡西区にあります。

皿倉八景が制定されました!

旧八幡市制100周年を記念して実施していた「皿倉八景選抜総選挙」において、2018年10月、皿倉山の新たな景勝地「皿倉八景」が決定しました。

1位には太古の昔に神功皇后が遠賀や小倉、下関方面を望んだとされる「皇后国見岩」が選ばれ、2位にはカップルに人気のデートスポット「天空ドーム」、3位には初夏のアジサイ、秋の紅葉のトンネルなどが見どころの「四季彩ロード」が入りました。

4位から8位は以下の通り。
 4位 樹齢を重ねたカエデとスギのコントラストが魅力の「楓杉(ふうせん)峡」
 5位 樹齢400年という「巨樹老木・皇后杉」
 6位 森林浴が満喫できる「ネムの木の展望台」
 7位 ドウダンツツジやイロハカエデなど四季を通じて楽しめる「権現山頂」
 8位 ケーブルカーから満喫できる「車窓からの景色」

健康のための登山から、ケーブルカーで観光、夜は夜景とビアガーデンも楽しめます。帰省の機会に、皿倉山に遊びにいってください!


皿倉山のことを調べているといろいろと面白いことがわかりました。
昭和26(1951)年2月16日の毎日新聞に「戦後九州で初の第1回皿倉山スキー大会」が開催されたという記事があるそうで、スキー大会ができるほど積もっていたのか??と驚くことがたくさんです。機会を見つけて登ってみたくなりました。








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