四季料理はな坊 女将
小平つるさん(本名 小平淑子さん) 高27期


Profile小平つるさん(こだいら つる)さん

1975年 八幡高校卒業(高27期)
1994年 ご主人と宇都宮駅前に料理屋『はな坊』を開店
2002年 宇都宮市今泉に店舗を新築・移転し、現在に至る

八幡高校卒業後、女子大に入学するも中退して中央大学に入学。大学卒業後、さまざまな仕事をしつつ将来スペインに日本料理店を開くため料理の勉強をしていたところ、当時銀座で修行をしていたご主人と出会い結婚。夫婦二人三脚で宇都宮駅前に念願の料理屋『はな坊』を開く。ご主人との間には一男二女を授かり、長男も同じ料理人の道へ。中央中学出身。


「八高の先輩が女将をやっているお店で会おう」。2018年秋、筆者が栃木県宇都宮市に住む八高同級生と36年ぶりに再会することになり、その時に連れていってもらったお店が今回の取材対象である小平つるさんが女将を務める『はな坊』でした。料理もさることながら、料理に合わせて奨めてくれる数々の日本酒がどれもおいしく、改めて日本酒の魅力を教えてもらうために2月上旬に再訪しました。


波乱万丈・・・やりたいことは何でもやってきた

高校卒業後、現在に至るまでの経緯を教えてください。

幼い頃から親に相談することなく、なんでも自分で勝手に決めてしまう性格でした。八高を卒業後、まずは女子大に入学しましたが、なんだか合わないと感じて途中で辞めて勉強し直して上京し、中央大学に入学しました。
中央大学では空手部に入りました。その空手部にスペイン人が修行に来ていて、その方と仲良くなったことがきっかけでスペインに興味を持ち、アルバイトをしてお金を貯めては何度もスペインに一人旅をしたりしていました。
当時は将来、学校の先生になりたいと思っていたのですが、予備校の講師の試験に受かって内定を貰ったので、予備校に就職して社会科の講師として受験生に教えていこうと思ってたんです。4月1日、いよいよ社会人になるんだと張り切って予備校に行ったら、もぬけの殻・・・なんとその予備校が潰れていたんです。


いきなり波乱万丈ですね(笑)

焦りましたよ。とにかくどこかで働かなくてはと部の先輩に紹介していただき、とある議員の秘書になりました。ところがこれが大変忙しいのに給料が安かった。将来議員を目指している人が修行を兼ねて秘書をやることが多いせいでしょうか、一般の会社と比べても給料は安いことが多いんですね。昼は国会、夜は奥様のパーティーのお手伝いなど、土日もなく働いていましたが、これでは厳しいなと思っていました。
実は絵を描くことも大好きだったので、今度は突然美大に入りたいと思うようにもなり、受験勉強も始めていました。そうこうしているうちに健康保険組合の職員に受かったので、議員秘書をやめてそちらに移りました。給料も以前より増えて、しかも残業もほとんどないので、昼に仕事をして、夜は受験勉強をしていましたね。
一方で卒業してからも空手は続けていましたし、スペイン旅行にも定期的に行っていました。スペインではバル(食堂やバーが一緒になったような飲食店)がとても楽しくて何度も通いました。当時スペインにも日本料理店はあったけどとても高くて・・・すると今度は自分でスペインで日本料理をやってみようと思うようになりまして・・・(笑)。空手を通じて知り合ったスペイン人の師範が協力してくれるというので3~4年後にスペインに渡ろうと準備を始めました。その頃には絵はやっぱり趣味でいいやと思うようになっていましたね(笑)。
9時から17時までは健保組合で働き、夜は中野にあった行きつけの小料理屋さんで修行させてもらうようになりました。その店にお客としてよく来ていたのが、当時銀座のお店で修行をしていた今の親方なんですね。(注:ご主人のことを親方と呼ばれています)


ようやくつながってきましたね(笑)。それでお店を開いたのですか?

いえ、そこからがまた大変でした。当時親方はまだ料理人の修行をしていましたが、一緒に暮らすようになり、その後結婚しました。新婚旅行は当然スペインへ行きましたよ(笑)。
いずれ東京で店を開こうと考えていたのですが、東京はやはり家賃をはじめ何もかも高くて・・・。当時すでに子供が二人生まれていました。親方は栃木県鹿沼の農家の長男だったので、とにかく鹿沼 に行こうということになり、ご両親が二人で暮らしていた親方の実家に4人で入り込みました。でもやっぱり同居は難しい。結局近くにアパートを借りて住むことにしました。
その鹿沼でお店を出そうとしましたが、周囲はほとんど農家ということもあってか、外食をする方が少ないということに気づきました。お店もあるのはお蕎麦屋かお寿司屋さんくらいで・・・。知らない土地だけど、宇都宮に出て一からやってみようと二人で決意しました。そこで駅前に念願の料理屋『はな坊』を開きました。1994年、今年でちょうど25年になります。店の名前の由来は、親方も私もお祭りが大好きで東京にいた頃からいろんなお祭りで神輿を担いでいましたので、神輿の『花棒』をもじってつけたんです。
ところがお客様が来ない・・・。駅前でティッシュやチラシを配りながら宣伝してみましたが、新参者が出した店に誰も入ってくれないんです。ランチも東京では1000円が相場でしたので900円か850円くらいかなと思っていたけど、とんでもない。800円、750円、700円・・・と下げてもなかなか入って貰えませんでした。当時は鹿沼の実家に子供を預けてから通っていました。3人目の子も生まれ、上の2人は児童館に、下の子は0歳から保育園と託児所に預けて、1か月に1日しか休まずに働きましたね。それでも翌日の仕入れに必要な5万円すらなくて本当に苦労しました。
雇っていた板前さんの給料も 払えず、仕方なく辞めてもらって親方と二人でやっていました。

転機が訪れたのは大学のOB会に出てからでした。偶然 、宇都宮に中央大学の先輩がいらして、OB会をやるよと教えて頂き、行ってみようと思いました。ところが着ていく服がないんです。子供のお年 玉も全部お店につぎ込んでいたくらいでしたから・・・。当時私はお祭りの恰好で店に出ていましたので、股引姿で名刺を配って宣伝してこようと開き直って行きました。みんな最初は余興で雇われている人だと思ってたようです(笑)。でもその会で、駅前でこういう店をやっていますとスピーチしたところ、じゃあ二次会をその店でやろうと言っていただき大勢で来てくれました。うれしかったですねぇ。
それから徐々に宇都宮に工場や研究所がある大企業の方々が来てくれるようになってきました。また大学病院や開業医さんたちからお昼のお弁当を頼まれるようになって、そのうちランチも出せないくらいお弁当の注文が増えました。
当時のお店は20坪(66平方メートル)くらいでしたが、隣が空いたというので増築して、座敷の広間の 他に、掘りごたつ式の個室を作ってみたら個室のほうがすごく人気になり、企業の大事な接待にも使っていただくようになりました。
いよいよ手狭になってきたと思っていたら、運よく150坪ほどの空地が見つかったので、思い切って建てようと決めてここに移ってきました。2002年のことです。

意外と多い、日本酒に対する先入観

さて最近では日本酒ブームとも言われて、関東にも全国の地酒が置いてある店が増えていますが、種類も多くてなかなか知識が追いつきません。お客様に尋ねられたときにどのようにお奨めしていますか?

宇都宮の駅の近くということもあり、他の地域 にお住まいの方もよくいらっしゃいます。ですからできるだけ栃木のお酒を知って頂こうと思って各種取り揃えています。そのうえで『親方と女将のおすすめ』として全国 からさまざまな地酒を定期的に仕入れています。基本的には2種類ずつ仕入れていますが、意識して「含み感のある重いもの」と「キレのある辛口」を入れるようにしています。もちろん料理との相性を考えて選んでいますよ。
味覚、好みは個人差がありますのでお好きなものを召し上がっていただくのが一番なんですが、皆さんが日本酒に対して持たれている先入観が多いのも事実です。

日本酒に対する先入観ですか?

はい。なぜか、ほとんどの方が最初に辛口のお酒を選ばれます。
でも最初に辛口を飲まれると、そのあとに飲むお酒は甘ったるく感じるものばかりになっています。私は、まずは甘口、つまり含み感や重みのあるお酒を飲んでいただき、それからだんだんと辛口になるようにお薦めしています。でも単純 に辛口に移行するだけでは飽きてきますので、途中でワインのような味わいのお酒を遊び心で挟んだりして、最後まで日本酒を楽しんでいただけるように心がけています。
その前にそもそも「日本酒は甘いお酒である」ということをお伝えしています。日本酒の味の指標としては、「日本酒度」と「酸度」があり、ほとんどのお酒のラベルに記載されています。この「日本酒度」と「酸度」が両方0であれば、それはお水になります。一般的に「日本酒度」が高いほうが辛口 、低いと甘口といわれていますが、味はそんなに単純なものではなく、「酸度」との兼ね合いで大きく変わります。ですからこの2つのバランスを好みの目安にしてもいいと思います。また同じお酒でも、お酒だけを飲んでいるときと料理と一緒に召し上がるときとでは味が違って感じられるものです。この辺はいろいろと試してみるしかありませんが・・・。

もうひとつの先入観は「産地」と「ネーミング」です。
どうしても新潟、山形、秋田などのお酒が好まれます。実は今月の『親方と女将のおすすめ』は愛知 の『二兎』と秋田の『雪の美人』なんですが、圧倒的に秋田のお酒を選ぶお客様が多いですね。
もちろん『雪の美人』はおいしいお酒ですが、愛知のお酒だってとてもおいしいんですよ。愛知はお 魚もとてもおいしくて、親方も注目しています。それから福岡のお酒もとてもいいものが多いのですが、特に関東の方は九州は焼酎のイメージが強いせいか好まれません。これはとても勿体ないと思います。ぜひ先入観を持たずに全国のお酒を楽しんでいただきたいですね。


*年に一度立春の時だけ作られる仙禽立春朝搾り(栃木県さくら市 (株)せんきん )


*大将と女将のお奨め 二兎(愛知県岡崎市 丸石酒造)


*枡酒には塩・・・それぞれ味と香りが違う三種類の岩塩


世界に自分は一人しかいない・・・後悔しない毎日を過ごしたい

女将さんのおっしゃった先入観を2つとも持っていました(笑) 女将の仕事をしていて、どういうときに一番喜びを感じますか?

もっと豪華な店、キレイなお店は他にたくさんありますが、ご両家にとってのお祝いの席や大事なお仕事の接待の席で『はな坊』を選んでいただき、そして「ここにして良かった」と喜んでいただけること・・・これに尽きます。
うちの親方はとにかくお客様に喜んでいただきたい、そして驚いてもらいたいと思って、コース料理を毎月変えています。日本料理は季節ごとのお奨めの素材はどうしても似てきますが、それでもいろいろ工夫して献立を変えていき、お客様に驚きや喜びを感じてもらえるよう常に努力しています。そしてその気持ちを親方と板前さんたちが繊細な技をもって料理にしています。何より仕込みにかける情熱や素材にかける丁寧さは驚くほどで、やはり修行で身に着けた技にはかなわないなぁと身内ながら感動しています。ですから私は料理に関しては一切に口出ししません。そんな親方をお手伝いできることが何より嬉しくて、料理が映えるよう、そしてお客様に喜んでいただけるよう自分が少しでも 役立ちたいと思っています。


いいお話ですね。それでは最後に同窓生にメッセージをお願いします。

若い時にある人に言われたのですが、世界中に自分はたった一人しかいないんだと強く思っています。いろんなことをやって、いろんな失敗や苦労もありましたが振り返ってみるとたいしたことはありません。ですから皆さんも、特に若い方には世間一般の価値観じゃなく、自分が思ったこと、信じることにどんどんチャレンジしてほしいと思いますね。人生において多少失敗してもいくらでもやり直しがききますから、恐れずに進んでください。


本日は本当にありがとうございました!



*カチッカチッ!縁起良く石を打ってお見送り頂きました


【編集後記】

  • 毎日数多くのお客様をお迎えしている小平さん、昔の苦労話もとにかく明るく楽しく語られ、笑いの絶えない取材となりました。
  • 小平さんの旧姓は鶴田、ご結婚して小平姓になりました。女将となるときに旧姓の「鶴」を残しておきたくて「小平つる」と名乗っておられるとのことです。
  • 小平さんは忙しい仕事の合間を縫って盲学校に行き、「読み聞かせ」のボランティア授業もやっておられます。以前なれなかった先生の仕事を少し体験できているとのことでした。
  • ご長男は都内のホテルで修行したのち、今は『はな坊』の板場にて働かれているそうですが「果たして一人前になるかなぁ、大丈夫かなぁ・・・」と言われていた時だけは、小平さんの顔は女将からお母さんに戻っておられました。
  • 取材日は平日の午後、ランチの時間が終わったあとでした。それぞれ午後半休をとってきた筆者とカメラマンの2人は、取材後に宇都宮の街を散策し、夕方再び『はな坊』へ。今度は客として「今月のコース」を小平さんが選ぶおいしい日本酒と共にいただきました。

2月のコース(一部)と自家製塩辛・・・なるほどお酒が進みます


 

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