同窓生のみなさんは、「シュガーロード」ってご存知ですか?長崎から小倉を結ぶ長崎街道は、鎖国時代に長崎の出島に荷揚げされた”砂糖”が、この道を通って京都・大阪・江戸へと運ばれていったため、長崎街道周辺には独特の”砂糖文化”が広まったそうです。このことから長崎街道は「シュガーロード」とも呼ばれ、沿線には砂糖文化が今も残っています。このような文化を将来に引き継ぐため、今年6月に「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」として文化庁より日本遺産として認定されました。

長崎街道は、参勤交代やオランダ商館長の江戸参府、海外からの品々や技術・文化を京都・大坂・江戸へと運ぶための街道として栄えてきました。坂本龍馬もシーボルトも伊能 忠敬も九州の大名たちも通ったメジャールート、その長崎街道の最初の宿場町は黒崎です。木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田と続く街道は筑前六宿と言われて北九州とも繋がり が深く、そういえば中学生の頃に社会科研究をやったなぁ、などと妙に懐かしい事を思い出しました。


「砂糖の道」がもたらしたお菓子の文明開化

さて、街道沿道は砂糖のほか、菓子作りの技法なども入手しやすかったため、全国的にも有名な銘菓が生まれました。

南蛮から伝わった菓子は、それまでの和菓子とは違い、砂糖をふんだんに使うもの。この伝来により、日本の菓子の世界に革命が起こり、長崎街道を中心に砂糖文化が各地の文 化と風土を取り入れ、個性ある味へと花開きました。長崎街道が砂糖の道「シュガーロード」と呼ばれる所以であり、長崎・出島をスタートして、筑豊、黒崎を辿って小倉へとつ ながる「シュガーロード」沿いには、多くの文化財とともに砂糖の伝来がもたらした数々の銘菓があり、数百年の時の中で開花した、砂糖の文化。その甘さと奥深い歴史は興味あ るものです。

日本遺産には、長崎から小倉に至る街道沿いの名所とお菓子が認定されました。北九州市では、福聚寺(ふくじゅじ)、常盤橋(ときわばし)、小菊饅頭、栗饅頭、金平糖、くろ がね羊羹などが文化財として認められました。北九州にゆかりのあるものをご紹介します。


織田信長にも献上された、金平糖

古くは織田信長に献上されたのが最初と言われる「金平糖」。語源はポルトガル語の「コンフェイトス」がなまって金平糖になったといわれます。サビの味がする金平糖でも有名な入江製菓さんでは、西日本で唯一金平糖の製法が守られています。


八幡製鉄を支えたくろがね羊羹

明治・大正・昭和と製鉄で栄えた八幡の労働者の疲れを癒す甘いお菓子。官営八幡製鐵所で働く従業員向けの栄養補助食品として誕生したポケットサイズの羊羹。上白糖の強い甘みが、昼夜を問わず稼働する製鉄現場を支えました。


西洋渡来の製法、栗饅頭

饅頭は「蒸し系」と「焼き系」に大別されますが、栗饅頭は焼き系まんじゅうです。焼きまんじゅうは、江戸時代の海外貿易で製法が伝えられたとされ、皮栗と餡を包んだ皆さんが承知のお菓子です。


千鳥饅頭、八幡饅頭も日本遺産に

昭和初期、製鉄業でにぎわう八幡で創業した「鶴屋」の人気商品。白餡をカステラ生地で包む丸い焼き菓子で、「八幡」の焼き印が特徴です。八高校章の八幡饅頭もありましたね。 惜しまれながら閉店してしまいましたが、八幡饅頭は千鳥饅頭とよく似た形をしています。それぞれの店の創業者は兄弟。どちらも近代産業を支えるお菓子です。


九州の街道の起点「常盤橋」

最後に紫川に架かる常盤橋をご紹介します。
長崎街道の起点、九州5街道の起点とも言えましょう。現在は木製の復刻された橋がかかっています。常盤橋の上で測量した方が二人いらっしゃるそうで、一人は伊能忠敬です。1810年常盤橋を渡ったという測量に記録が残されています。もう一人はシーボルトです。1826年にこの橋を渡って、ここから測量したものを記録に残しています。伊能忠敬が 眺めた、いにしえの小倉の風景を眺めてみるのも良いのではないでしょうか。



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帰省の際には、長崎街道の歴史に思いを馳せながら、面影を残す宿場町の街並みの散策や、伝統を守りつつ発展を続ける甘味を食べながら郷土の歴史を楽しんでみませんか?





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