菅好男さん(高34期)


Profile菅好男(すが よしお)さん
株式会社スガルト代表取締役

1982年 八幡高校卒業(高34期)
高校卒業後、渡米。カリフォルニア大学~ジェモロジカル・インスティテュート・オブ・アメリカに入学
     帰国後 ダイヤモンドの輸入商社へ就職
1992年 ベルギーにてバイヤーとして駐在
2000年 独立し、自身の会社SUGARTOを立ち上げ
2013年 事務所を渋谷区神宮前に移転、ショールームを併設
ダイヤモンドジュエリーブランド Dclusiv(ディクルーシヴ)をスタート、現在に至る

八幡高校卒業後、渡米しダイヤモンドの専門知識を学び、学位(Graduate Gemologist & Jewelry Artの修士)を取得。帰国後はダイヤモンドの輸入商社に入社。国内において販売兼バイヤーとして活躍後、ベルギー現地法人にバイヤーとして駐在。その後、ヨーロッパを中心にロシア・ニューヨーク担当バイヤーとしてダイヤモンドの買付を行なう。ジュエリー製品部門に異動後は大手ジュエリーショップの商品企画・生産など、デザインからダイヤモンドの選別まで行う。2000年に独立し『有限会社スガルト』を立ち上げる。その一方2008年『デビアスダイヤモンドジュエラーズジャパン』の銀座旗艦店オープンに伴い、マーチャンダイジングマネージャー(商品企画部門の責任者)を担う。2013年『株式会社スガルト』の事務所兼ショールームを渋谷区神宮前に設立し、自身のブランド『ディクルーシヴ』を立ち上げる。高校時代はフォーク同好会に所属。高見中学出身。


原宿から表参道。平日から大勢の若者で賑わうこの通りに『株式会社スガルト』の事務所兼ショールームがあります。通りの喧騒が嘘のような、静かで落ち着いた雰囲気の事務所内で菅さんにお話をうかがいました。


渡米を決めてから理由として選んだダイヤモンド

菅さんはどのような経緯でダイヤモンドの専門家となったのでしょうか?

高校3年になって将来を考えたとき、とにかく一度は海外に出てみたいと思ったんです。それで父親に2年間アメリカに留学させてくれと頼みこんで、なんとか了解を得ましたが、ではアメリカで何を学ぶのか?と問われると、まったく考えていないことに気づきました(笑)。そんなときにたまたまテレビでダイヤモンドのディーリング(売買)をニューヨークでやっている唯一の日本人の石田さんという方のドキュメンタリーを観て、「あ、かっこいいな、これでいこうかな」とわりと簡単に決めてしまいました(笑)。


なんだか安易ですねぇ(笑)。でも、それが今につながってるわけですね?

そうなんです。簡単に決めて渡米したものの、いざ本格的に学ぶとなるとこれが実に大変でした。この世界で生きていくためにはしっかりとした資格を得なくてはなりません。そこで専門の学校に入ったのですが、ダイヤモンドの用語はとても難解でアメリカ人の学生でも専門の辞書を使うほどなんです。それを当時、日常会話の英語でも怪しいレベルの私は、専門の辞書に書かれている英語での説明をさらに英和辞典で調べるという、その繰り返しでした。授業を終え、夕方から明け方5時くらいまで宿題や勉強をして、また朝学校に行く・・・そんな毎日でした。特に最初の半年間はほとんど眠った記憶がありません。でも2年間は勉強すると父親と約束して出て行ったから音を上げるわけにもいきません。それに何より当時は若くて体力はあったので、何とか乗り切ることができました。そのおかげで、その後につながる基礎を徹底的に吸収することができましたし、学位や各種の資格を取得できました。


卒業後は日本で就職されたんですね。

ええ、でもアメリカで資格は得たものの、日本での学歴は高卒・・・就職には簡単に結びつきませんでした。それで改めて国内のジュエリーカレッジで学び直しましたが、最初は厳しかったですね。大手に卸している会社の工場に住み込みもしました。社員食堂の上に寝泊まりして、職人さんたちの食事の用意をしたり、文字通り丁稚奉公のようでしたね。そんな生活を2年ほど続けました。でもそこで職人さんたちの技術を学ぶことができ、その後に活きる経験を得ました。
その後、転職して真珠の卸会社に入り、ダイヤモンド事業部に配属されました。そこで本格的にダイヤモンドのディーリング(売買)をやるようになりました。思えば世の中はバブル時代・・・私も年間30億円くらい売ってましたね。国内でトップセールスになり、その後、約2年間ベルギーに駐在、帰国後も海外を任されて月に1回ニューヨークに通う生活をしてました。でもやはりプレッシャーもあり、ストレスからか体調も崩しがちになってきました。
その後ダイヤモンドの石を売買するディーリング部門から、完成されたアクセサリー商品を取り扱うジュエリー事業部に移してもらい大手の販売店を担当して企画などを行なったりしましたが、30代も半ばになってきて、2000年にいよいよ独立することにしました。


オリジナルブランド立ち上げ~八高同級生とのつながり

この事務所兼ショールームはとても落ち着いた雰囲気ですね。

ありがとうございます。でも2000年に会社を作りましたが、しばらくは開店休業のような状態でした。会社を経営しながらも一時期は北九州に帰り、父親の経営する土木関係の仕事をやったり、2008年には大手のデビアスが日本で立ち上げた会社にマネージャーとして入ったりもしました。そして2011年にようやく自分の会社をしっかりとやって行こうと、4月から始動する準備をしていた直前に大地震もあり・・・結局、この青山(神宮前)に移ったのは2013年のことでした。自分自身で新しいブランドを立ち上げて、海外にも展開していく思いを持って再始動しました。


それが『ディクルーシヴ』というブランドなんですね?

ええ、このブランドを立ち上げる際に八高の同期(34期)でデザイナーの仕事をしている山下博一さんにも協力してもらいました。私なりのブランドイメージをどうやって伝えていくかを彼に話をして、パンフレットにも彼に絵を描いてもらいました。残念ながら山下さんは2018年に急逝されましたが・・・彼の協力なしにこの店、このブランドを立ち上げることはできなかったと感謝しています。


*故・山下博一さん(高34期)がディクルーシヴのパンフレットのために描いた絵の数々(菅さん提供)


ダイヤモンドを気軽に楽しんでもらえるように

ところで一般的にはダイヤモンドは贅沢品で、触れる機会も少ないものですよね。

たしかにそうですね。ですから私もダイヤモンドが少しでも皆さんにとって身近な存在になるようにとの思いで、2017年から『ダイヤモンドを楽しむ会』というのを定期的に開いています。ダイヤモンド発掘の歴史からカッティングの技術革新などを広く紹介して、皆さんにダイヤモンドを知ってもらい、ジュエリーとして身に着けるだけでなく、その知識や美しさ自体を楽しんでもらえるような活動を続けています。同窓生の皆さんにも美術館や博物館を訪れるような気軽さでお越しいただきたいと思っています。また、ダイヤモンドを身に着ける以外に楽しんでもらうために私が作った製品があります。『マイジュエルミネーション』というんですが、アクリルドームの中の台座が回転し、そこに置いたダイヤモンドにレーザーを当てることでダイヤの持つ光の反射の変化や宝石よって輝きの違いを楽しむことができます。テレビの情報番組でも取り上げられたこともありますよ。


最後に同窓生にひとことお願いします。

このインタビューを通じて皆さんが少しでもダイヤモンドに興味を持っていただけたら嬉しいですね。また、私は長い間関わってきて、ダイヤモンドって本当に人間に似ているなって思うようになってきました。自然界でもっとも硬く強い鉱物であることは皆さんご存知のとおりですが、それでもひとつひとつ内包されているものが違いますし、輝き方や光の反射の具合も違うんです。人間もそうですよね。それぞれの違いはありながら、一人ひとりはとても貴い。そして何よりもダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨くことができないのと同じように人は人からしか磨かれないものだと感じています。


本日はありがとうございました!

【編集後記】

  • 本文にも出ている菅さんの製作した『マイジュエルミネーション』がNHKで毎朝放映中の番組『おはよう日本』の中の『まちかど情報室』というコーナーにおいて紹介されます。放映は2020年3月2日(月)、午前7時30分頃の登場予定です。八高の同級生も一緒に参加します。是非ご覧ください!
     https://www.nhk.or.jp/ohayou/machikado/
     *尚、番組は予告なく変更されることがございます。
  • 菅さんの事務所兼ショールームはJR『原宿駅』、東京メトロ『明治神宮前駅』、『表参道駅』のすぐ近く。ゆっくりと見て頂きたいので、事前予約をお願いします。また、ショールームの改造を計画中とのこと。新しいショールームは3月初旬に完成予定。お楽しみに!
     SUGARTOホームページ https://sugarto.com/
  • 前職でベルギーに駐在することになった菅さん。上司から、向こうのビジネスではホームパーティーなどが重要になるから結婚して一緒に行くほうがいいと言われ、当時つきあっていた女性と結婚することにしました。ところがその彼女は勤めていた会社の社長秘書。社長から「聞いていない」と呼び出されて叱られ、小言を言われながらも無事結婚してベルギーに着任したとのことです(笑)。
  • 菅さんのオリジナルブランド『ディクルーシヴ』はダイヤモンドデザイナーのヒロ・コガネイ コレクションとして内外から高い評価を得ています。これもスガルトのショールームで観ることができます。

    *ヒロ・コガネイコレクション数点(菅さん提供)
  • 最近は仕事のことで頭がいっぱいだと言う菅さん。趣味は楽器集めと演奏。八高時代はバンドを組んで予餞会や文化祭のステージに何度も立ち、ギターを演奏していました。

    *自宅にある楽器の数々(菅さん提供)

 

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