定12期の山口さんから第二次世界大戦中の八幡空襲のDVD映像をご紹介いただきました。
「北九州の戦争を記録する会」の映像資料です。今回の知っとぉ?は、日本へのB-29による初めての空襲・八幡製鉄所空襲のお話をご紹介します。

日本本土へB-29が飛来したのは、昭和19年(1944年)6月16日深夜の八幡への空襲がはじまりです。これは米軍のサイパン上陸作戦と同じ日。対日爆撃でサイパン上陸作戦に協力すべしという命令の元で行われました。

成都からの攻撃目標は、八幡製鉄所の東田コークス炉

米軍側の資料によれば、日本本土の爆撃計画(マック-ホーン計画)は、1943年11月に策定され準備されてきました。インドのカルカッタを根拠基地とし、中国四川省の成都を前進基地として、新型の長距離爆撃機B-29の航続距離6000キロぎりぎりで往復できる場所。成都から日本本土に被害を与える事ができるのは北九州が限界。そこで、当時の日本の鉄鋼生産の24%を占める北九州工業地帯の八幡製鉄所、東田のコークス炉が攻撃目標「YAWATA」として定められました。

マック-ホーン計画に予定されていた米軍の第58爆撃飛行団は6月13日に成都への移動を開始し、14日には83機のB29が成都へ進出。6月15日午後3時、75機のB-29がそれぞれ2トンの爆弾を搭載して成都の飛行基地から離陸を開始しました。攻撃目標は八幡にある日本製鉄株式会社八幡製鉄所の工場「東田コークス炉」。離陸できなかったり故障で引き返すなど、結果八幡の上空に姿を現したのは47機。6月16日0時38分、B-29は玄界灘の沖ノ島で進路を変え、八幡上空に到達。およそ2時間に及ぶ爆撃を開始しました。しかしながら、市街地には灯火管制が敷かれており、上空からは真っ黒な街中の爆撃目標を視認できたのはたったの15機だったとのこと。残り32機はレーダー照準爆撃を行い、7機は爆弾を捨てたそうです。日本軍は探照灯と高射砲で応戦、小月基地から発した迎撃機も応戦しましたが1機を撃墜したのみで打撃を与えることはできませんでした。
この三日後に米軍の偵察機が撮影した写真によると、目標とされた八幡製鉄所にはほとんど被害がなく、攻撃目標であった東田コークス炉には一発も命中せず被害はありませんでした。

八幡製鉄所よりも、むしろ市街地の方が被害

この6月16日の八幡空襲では、目標とされた八幡製鐵所よりもむしろ市街地の方が被害が大きく、爆撃を受けた北九州5市では八幡69名、小倉94名、戸畑53名、門司34名、若松6名の計256名が犠牲となりました。なかでも小倉北区大手町周辺にあった小倉陸軍造兵廠は施設に直撃弾を受け、学徒動員されていた10代の若者など、80名以上が命を落としました。

米国の新聞では、日本のピッツバーグを攻撃とし、八幡製鉄所への被害は小さかったにもかかわらず「日本国民の心理的に被害を与えた」と大々的な報道を行い、のちの日本全土への無差別戦略爆撃を予感させるものとなりました。

1944年8月20日には2度目の八幡空襲が行われた


響灘からの8月20日の米軍上空写真

米軍は八幡製鉄所構内に、これまでの東田コークス炉以外の洞岡地区にもコークス炉を発見。東田コークス炉とともに新たな目標として定められ、八幡製鉄所は1944年8月20日に中国から飛来したB-29によって2度目の空襲を受けることになります。2度目の空襲は61機のB-29が384発の高性能爆弾を投下。日本軍も高射砲と体当たり攻撃などで応戦し7機を撃墜したといわれます。米軍の航空写真には、八幡製鉄所から煙が上がっている姿が捉えられています。

3度目の空襲は、精密爆撃から無差別爆撃へ

すでに昭和19年(1944年)6月にマリアナ諸島を攻略していた米軍は、ほぼ日本本土全体をB-29の航続距離内に収めていました。その後、攻撃目標は重工業から航空機産業へ転換、昭和20年(1945年)になると、米軍は高高度からの軍需工場を目標にした空襲から、新型の焼夷弾によって市街地を焼き払う空襲に戦術が転換されました。八幡製鉄所は空襲の対象から外れていきました。戦術転換後は、日本中の各都市が次々に空襲の標的となり、北九州では、昭和20年8月8日の八幡大空襲で、罹災者数5万2562人、罹災戸数1万4000戸、約2,500人もの死傷者が出て、八幡は一面焼け野原になりました。小倉に原爆が投下されなかった理由として、この前日の八幡大空襲の煙が覆っていたため目視確認ができなかったとの謂れもあります。

-編集後記-
自分は戦争を体験していない世代なので、空襲の話や防空壕に逃げた話などは親や祖父母からしか聞いたことがありません。皿倉山の八文字焼が、八幡の空襲を慰霊するものとは知っていましたが、改めて、八幡の空襲のことを知ることができました。平和な時代だからこそ、歴史の事実を世代を超えて語り継いで行かなくてはならないと思いました。








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