アイエフシー株式会社 代表取締役社長
梅原英毅さん(高12期)

Profile梅原英毅(うめはらひでき)さん

1960年八幡高校卒業(高12期)
八幡製鐵株式会社(現 新日鐵住金株式会社)入社
1962年千葉工業大学 工学部工業化学科 入学(八幡製鐵所 社内奨学金制度により)
1966年千葉工業大学 工学部工業化学科 卒業
1967年新日鐵化学へ出向(現 新日鉄住金化学株式会社)
2002年新日鐵化学株式会社を定年退職
アイエフシー株式会社設立
高校卒業後、八幡製鐵株式会社に入社。社内奨学金制度により千葉工業大学工業化学科に入学。復職後さまざまな化学製品の開発に携わる。新日鐵化学へ出向したのち2002年に定年退職。同年アイエフシー株式会社を立ち上げる。高校時代は新聞部に在籍。黒崎中学出身。

6月上旬、自ら立ち上げたアイエフシー株式会社の社長としてご活躍中の梅原さんにお会いして、定年後に起業された理由や、事業を成功させてきた秘訣、そして同じく起業を志している同窓生の皆様へ経験者としてのアドバイスを伺いました。

起業の理由は「社長をやってみたかった」から

定年退職後に起業されたと伺いました。これまでの経緯をお聞かせください。

高校卒業後すぐに八幡製鐵に入社したのですが、会社がこれからの事業として化学分野に進出する目的で化学技術者を育てる奨学金制度を開始したんです。それにダメモトで挑戦してみたところ、300人以上が応募した中で10人の枠に選ばれました。それで八幡製鐵からの奨学金で千葉工業大学に入って応用化学を学ぶことができました。
卒業後は新日鐵、そしてグループの新日鐵化学で定年まで化学製品分野で働いてきました。一般消費者にはあまり知られていませんが、スマートフォンに欠かせない回路を印刷した超薄型フィルムなど、会社に大きな収益をもたらした大ヒット商品にも携わりました。
でもどうしても一度社長をやってみたくて・・・(笑)、定年を迎えるにあたって数社からお声掛けを頂きましたが、全てお断りして、会社を立ち上げました。

奥様やご家族は理解してくれました?

とんでもない!(笑)「あなたが事業やっても絶対に失敗するから」と大反対でした。結局、退職金を全て家内に渡して、資金調達から自分一人でやるという条件で了解を得ました。
定年を迎える身での資金調達はなかなか厳しいものがありましたが、幸運なことに長年続けているボーイスカウトの指導者仲間に税理士がいて、その方の紹介で信用金庫から3000万ほど融資を受けることができました。それを元手に創ったのがアイエフシー株式会社です。

社名の由来は?

International Fine Chemicals Co.,Ltd.の頭文字です。本当はファインケミカルでなく、ソフトケミカルの方が事業内容にとっても相応しく、そう名付けたかったのですが、どうも英米の人たちにとってSoftという単語は「軟弱」「ひ弱」「ほれっぽい」など良くない意味もあり、企業名としては避ける傾向にあると知って、Fineを選びました。

大手商社に負けなかったことで自信が生まれた

事業を始めてからのお話を聞かせて下さい。

起業してすぐにチャンスに恵まれました。以前から付き合いのあった大手製薬会社から農薬用の薬品を探すよう依頼されました。これは製品になってしまうと安定するメチルイソチオシアネートと言うものですが、製造工程では爆発がおこりやすい極めて危険性の高いもので、従来その製薬会社が輸入していたアメリカ企業の工場も爆発事故を起こして生産を止めてしまったとのことでした。そこで私が世界中を探してみたところ、インドに生産をしている企業があるということがわかりました。ただ実際に見てみないとわからないと思い、すぐに現地に足を運びました。山奥の谷間にポツリとある工場で、万が一爆発事故が起こっても周囲には影響を及ぼさないように考えられていました。「ここなら安心」とさっそく声をかけ、自分がその輸入元となることができました。
ところがこの製品に目をつけた大手商社も動き始め、猛烈にアピールしてきたのです。インドの製造会社の会長が来日してその大手商社と会うことになり、そのときはさすがに「自分のところのような小さな会社では太刀打ちできないなぁ」と諦めていましたが、彼を誘って当時私の事務所の近くの愛宕山にある愛宕神社に連れて行き、そこで二拝二拍手一拝の正式な作法で参拝したんです。すると彼も私を真似して手を合わせて参拝し、「自分はヒンドゥー教徒だが、あなたのように神に対して敬意を持っている人と付き合いたい」と私の会社を輸入元として選択してくれました。
本当に感激しましたねぇ。なにより事業を進めていく自信が生まれました。事実この薬品の輸入元となったことで会社を軌道にのせることができました。

リカバリー飲料 ペプトレックス(PeptoLex)は関東誠鏡会の総会誌の広告でおなじみですね。

この製品の原体は、オランダのオリンピック委員会が開発したものです。筋肉の元になるプロテインは摂取すると身体から分泌されるプロテアーゼと言う酵素で消化されて吸収されます。ただ、消化するのにエネルギーを消耗する上に4時間以上もかかるので運動中には摂取できません。しかしこれは牛乳のカゼインをプロテアーゼで既に消化しているので、運動前、運動中、運動後のいずれでも摂取できるという特許製品です。しかもオリンピック委員会の開発ですから、当然ドーピングテストには合格しています。
当初私はこれを飲料メーカーにスポーツ飲料の原材料として売れないかと思っていろいろと模索してみましたが、彼らの原価率からするとスポーツ飲料が1本数千円以上のものになってしまうため相手にされませんでした。そこで自分で製造販売を一手に行うことにしたんです。今では自衛隊や自衛隊体育学校、体育系大学、プロ球団、さらには病院、老人ホームなどにも採用されています。オリンピックや国際大会のメダリストでもある自衛隊体育学校の選手にも愛用してもらってますが、公務員のため名前を公表できないのが残念です(笑)。
プロ向けのリカバリー飲料として開発しましたが、もちろんダイエットや美容にも最適ですよ。



他にはどのような製品を取り扱っていらっしゃいますか?

今すごく伸びているのは医療用機器向けポリマーです。最近では腹腔鏡手術が増えてきていますが、それらに用いる医療機器はこのポリマーによるコーティング技術がなければ成り立ちません。人間の体はスコープなどの異物が入ると過剰に反応してしまい、スコープカメラの画面が見えなくなるほどの体液が出ますが、このポリマーでコーティングをすれば体は異物と認識しなくなります。つまり人体にもストレスがなく安全に速やかに手術ができるための必須のものなんです。他にも胃酸を押さえる薬の原料などの取り扱いも増えています。

事業を成功させる秘訣は「いかに自分で楽しめるか」「逃げ足の速さ」そして「勉強」

梅原さんは定年後にあらたにビジネスを始められ、見事に成功されています。その成功の秘訣とはなんでしょうか?

うーん、やっぱり運と縁のおかげですね。でも、あえて言えば趣味だったからと言えます。
人によっては絵を描いたり、音楽を聴いたり、旅行に行ったり・・・さまざまな趣味があると思いますが、それと全く同じ感覚で私はビジネスを趣味にしてるんです。だからこそいかに自分が楽しくなれるかを真剣に考えて工夫しながらやってきました。単にお金を稼ぐ仕事としてやるのなら定年後にあらたに借金までしてやりませんよ。そして、意外と難しいのは逃げ足の速さ・・・このままではうまくいかないと思ったときにいかに早く手を引けるかどうかが重要になってきます。大企業なら資金も潤沢にあるのである程度は大丈夫ですが、小さな会社は引き際を誤ると取り返しがつかない状態に陥ります。そこは本当に大切なポイントですね。
そしてもうひとつ、常に勉強しておくことです。
私も30代の頃には海外の企業との取引において英語の重要性を感じ、英会話学校に通いました。当時の英会話学校の入学金は月給よりも高くて・・・自腹でしたから真剣に勉強しましたねぇ(笑)。また、50代になって、医薬部門ではバイオケミカルが主流になっていくことを感じましたので、当時工学部でバイオケミカル専攻の大学院生だった娘の教科書を借りて必死に勉強しました。結果的にそうした勉強がすごく役に立っていますよ。

同じように起業を目指す方へアドバイスがあればお願いします。

なによりも自分で楽しむことだと言いたいですね。それから当然のことですが、他人のやらないことを見つけることが大事です。千三つと言って1000のうち3つ当たれば成功と言われる世界ですから、今でも何か新しいものはないかと探し続けていますよ。


子供たちの指導者としても活躍中

ビジネスが趣味という梅原さん、他にはどのような趣味がありますか?

こう見えてもアニメが好きで、学生時代は子供雑誌に連載まんがをバイトで書いていました。宮崎作品は全部観ていますよ。それから先ほども話しましたがボーイスカウトの指導者を何年もやっています。もともとは自分の息子がボーイスカウトに入隊する際に親も指導者になること、という条件があり、それで始めたことがきっかけでした。子供たちを指導することの重要性を強く感じて今でも続けています。日本ボーイスカウト川崎第22団で、団委員長として活動を行っていますし、川崎市区民会議で子育て委員会に所属しています。

福岡県人会の理事も務められていらっしゃいますね。

はい。実は関東誠鏡会への参加も定年後独立してからでした。それまでは全くと言っていいほど同窓会への活動はしていませんでしたが、自分で会社を立ち上げて少しでも人脈を広げようとさまざまな会に顔を出すようにしました。お蔭様でさまざまな縁が広がって、今では福岡県人会の理事も務めております。来年の県人会は北九州が当番になりますので、同じく理事を務められる篠原会長と協力して盛り上げていこうと思います。関東誠鏡会の皆さんにも福岡県人会への参加をお願いします!


本日は大変お忙しい中、本当にありがとうございました!

【編集後記】

  • 本文にあるように常に勉強を欠かさないという梅原さん。会社からの奨学金で大学に通った際にも化学と数学の教員免許も取られたそうです。ご自身の月給より高い入学金を払って英語を学んだり、お嬢さんの大学の教科書を借りてバイオケミカルを学んだ話には驚かされました。
  • 化学がご専門だけに今回のインタビューではさまざまな薬品や物質についてのお話を聞かせて頂きましたが、化学の話になるととても楽しそうでした。もっとも筆者には聞きなれない複雑な名前が多く、何度も聞き返すことになりました(笑)。
  • 何よりも人とのつながりを大切にしているとおっしゃる梅原さん。ご自身の過去をお話しされるときにも、必ずその折々でお世話になった方、助けてくれた方のお話をされていたことが印象的でした。




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